城南劇場の時代
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1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終了し、同年9月8日から1948年8月15日に大韓民国が建国されるまでの間は、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁がこの地域を統治した。正確な時期は不明であるが、城南劇場と改称し、韓国民間の手で復興した。1954年ころには、『グレン・ミラー物語』(監督アンソニー・マン、アメリカ公開1954年2月10日、日本公開同年1月8日)、『荒原の疾走(英語版)』(監督ジョン・ファロー、アメリカ公開1953年7月17日、日本公開同年12月29日)を同館で上映したことを示す写真が残っている(右写真)。1956年ころには、『ディミトリアスと闘士』(監督デルマー・デイヴィス、アメリカ公開1954年6月16日、日本公開同年10月27日)を同館で公開(再映)している。 韓国映画も上映しており、1960年1月1日には、李承晩を描いた『独立協会の青年 李承晩』(監督申相玉、韓国公開1959年12月5日、日本未公開)を「新春特別プロ」として上映した際の広告が残っている。1960年代には『大女侠』(朝鮮語題심야의 결투、『深夜の決闘』の意、監督張徹、香港公開1968年4月3日、日本未公開)等の香港映画や『死火山』(原題사화산、監督コ・ヨンナム、韓国公開1969年3月8日、日本未公開)等の韓国映画を上映した。 2階席のある龍山区最古の映画館として、2001年以降も営業していたが、2009年までにはすでに閉館している。建物は現存しており、1階にはアウトバック・ステーキハウスが入居している。
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