地盤・選挙戦と市政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/13 21:04 UTC 版)
1979年(昭和54年)から1995年(平成7年)まで4期16年間市長であった町井正登(舞鶴市名誉市民、平成18年没)の5選不出馬表明後の市長選挙で当選する。京都府北部は伝統的に強力な保守の地盤であった為に、町井も江守も選挙では革新系候補との一騎討ちで圧倒的な勝利を収める形を取って来た。逆に言えば、有力な対立候補も無く、市議会も共産党を除いてオール与党体制であり、市民の選択肢は非常に狭かった。特に舞鶴市は造船や硝子といった重厚長大産業の大工場が立地し、大規模な労組が存在したため、他の北部地域と比べリベラル色が強い地域であったが、舞鶴軍港があったために自衛隊擁護の論調も根強くあった。 そういった中で、江守は石炭火力発電所や海上自衛隊ヘリ基地の建設など整備事業を推進し、台風23号被害からの復興などを推し進めた。 2007年市長選では、事実上江守市政の後継者である自民党推薦の前助役、江守市政に批判的で無所属の前府議会議員(元市長・町井の遺族の支援を受ける)、民主党推薦候補、共産党推薦候補の激戦となり、大接戦の結果前府議会議員の齋藤彰が初当選を果たした。
※この「地盤・選挙戦と市政」の解説は、「江守光起」の解説の一部です。
「地盤・選挙戦と市政」を含む「江守光起」の記事については、「江守光起」の概要を参照ください。
- 地盤・選挙戦と市政のページへのリンク