土師百井廃寺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 土師百井廃寺跡の意味・解説 

土師百井廃寺跡

名称: 土師百井廃寺跡
ふりがな はじももいはいじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 鳥取県
市区町村 八頭郡八頭町
管理団体 八頭町(昭37・821)
指定年月日 1931.11.26(昭和6.11.26)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S55-05-034土師百井廃寺跡(旧名称土師百井廃寺塔跡.txt: 鳥取県東部流れる[[千代]せんだい]川の中流に、東部山地から流れる[[私都]きさいち]川・[[八東]はっとう]川・大江川一緒になって合流している。この地域は、古く因幡国[[八上]やがみ]郡に属し土師百井付近その内土師郷に比定されている所である。私都川八東川合流する付近後方に山を負い前方私都川せまったゆるい傾斜地南面し造営され法起寺式の伽藍配置をもつ寺跡が土師百井廃寺跡である。この寺跡では古くより塔跡礎石が完存し心礎地下式であることや出土瓦により7世紀後半造営であることが知られ昭和6年史跡指定されていた。この付近圃場整備事業開始されたことを契機昭和53年54年郡家町教育委員会発掘調査実施した調査結果によると塔は基壇南端部も確認され一辺16メートル基壇をもつ。塔の西に検出され金堂石積基壇良く残り東西18メートル南北16メートル規模である。中門は、両者南方基壇東端延石検出された。回廊講堂とりつくもので平石で端を化粧した5.4メートル基壇をもつ。講堂では円柱座をもつ礎石4を原位置検出しており、東西30メートル南北19メートル位の規模推定されている。またこれら伽藍中枢部を囲む北方西方築地基礎とみられる石積みとめられ伽藍のほぼ全容判明したのであるこのように廃寺跡は、今回その全体良く遺存していることが判明したので追加指定し保存を図るものである
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  土佐国分寺跡  土佐藩砲台跡  土塔  土師百井廃寺跡  土生遺跡  地獄谷石窟仏  地蔵田遺跡



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「土師百井廃寺跡」の関連用語

土師百井廃寺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



土師百井廃寺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2024 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS