国外逃亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 14:06 UTC 版)
フランス政府により高まる引き渡し要求に、アメリカはバルビーを国外に逃すことを画策し、バルビーはCICが用意した「クラウス・アルトマン(Klaus Altmann)」名義のパスポートと必要書類一式を受けとり、1950年12月に家族と共に反共産主義のバチカンの庇護や、イタリアの反共組織の協力のもとにイタリアを経由して南アメリカに旅立ち、フアン・ペロン政権下のアルゼンチンを経て、1951年4月23日に家族と共にボリビアのラパスに到着した。 当時のボリビアは、冷戦下においてアメリカが支援する反共的な軍事政権の支配下にあり、戦前からのドイツ系移民の影響力も強かったこともあり、チリなど周辺国に住む元ナチス党員らと連絡を取り、同時に同国の軍事政権との関係を構築した。
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