名人に香車を引いてとは? わかりやすく解説

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名人に香車を引いて

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:51 UTC 版)

升田幸三」の記事における「名人に香車を引いて」の解説

升田将棋指し目指して家を出たとき、母の使う物差しの裏書いたとされる言葉である。正確には、「この幸三、名人に香車を引いて勝った大阪に行く」と書いた。「香車引いて」は香落ちの手合割でという意味で、「勝ったら」は「勝つため」の誤りである。そのため他者出版物では「勝つため」に直して書かれることがあるものの、実際に書かれたのはあくまで「勝ったら」であると升田自伝語っている。また同著で将棋世界仕組みわかっておらず東京には関根名人がいる、大阪では坂田三吉関西名人名乗っている、とすると広島にも名人がおるんじゃなかろうか、まず広島名人やっつけてから大阪にいく。と当て推量しているが当時心境を全く覚えていないと述懐している。 1952年昭和27年)の第1期王将戦で、当時名人である木村義雄七番勝負を争う。当時王将戦三番手直りで、3勝差がついた時点残り対局香落ち平手交互に指す制度になっていた。升田木村対し4勝1敗とし、続く第6戦を香落ちで戦うことになり、名人香車を引く対局実現したが、このときの対局拒否して不戦敗となっている(陣屋事件)。 1956年昭和31年)、弟弟子大山名人当時)との王将戦で、再び名人香落ち指し込む。今度実際に対局し大山勝っている。「名人に香車を引いて勝つ」を実現した瞬間でもあった。 後にも先にも名人相手香車引いて対局をした棋士升田幸三ただ1人であり、その上に勝ったのも当然升田幸三のみである。 この時の心境について、升田晩年インタビューで以下のように語っている。 「喜びがね、日々段々膨れ上がってきた。もう、人は死んで、(自分も)いつ死んでもいいが、何百何千年経ってもね、俺の名前は残るというね。 時が経つほどね、やっぱり負かしといてよかったと。 将棋始まって私だけだから。名人に駒をおろした人は。」

※この「名人に香車を引いて」の解説は、「升田幸三」の解説の一部です。
「名人に香車を引いて」を含む「升田幸三」の記事については、「升田幸三」の概要を参照ください。

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Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの升田幸三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

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