陣屋事件
陣屋事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/12 21:57 UTC 版)
陣屋事件(じんやじけん)は、旅館「陣屋」(神奈川県・鶴巻温泉)で1952年(昭和27年)2月18日・19日に対局予定だった第1期王将戦第6局で[1]、升田幸三・八段[注釈 1]が木村義雄名人との対局を拒否した事件(棋士の段位・称号は当時、以下同じ)。
注釈
- ^ 第1期王将戦の規定では、1952年(昭和27年)2月11日・12日に大阪「羽衣荘」で行われた第5局で升田が勝利した時点で升田が第1期王将位を獲得しており、第5局の結果を報じる毎日新聞(王将戦主催社)の記事の見出しは「升田、王将位を獲得」である[2]。しかし、第1期王将戦第6局の開催を伝える毎日新聞記事[3]、升田が対局を拒否して第6局が対局中止になったことを伝える毎日新聞記事[4]のいずれでも、対局者の名前は「木村名人」「升田八段」と表記されている。
- ^ 倉島竹二郎は第1期王将戦の関東での対局(第1局・第2局・第4局・第7局。第6局は「陣屋事件」により中止)の観戦記を執筆した[13]。第6局の際も対局前日に「陣屋」に入って升田の到着を待っており、事件の経過を見ていたが、光鶴園には赴いていず、事件当日の升田とは会っていない[13]。
- ^ 連盟の処分について報じた毎日新聞の記事(昭和27年2月22日夕刊)には、「一方的な見解だ」と題した升田のコメントが掲載されており、末尾に「連盟に誠意があるなら私のいい分を聞くべきだ」(升田のコメントから引用)とある[15]。
- ^ 出典での表記は「読売の棋戦」[12]。
- ^ 他に、升田が第7期順位戦(A級)で塚田と対局したことが記載されているが、「昭和27年」とあるのみで日付と場所は不明[14]。
- ^ 第2期王将戦ではシステムが変更され、升田幸三王将と大山康晴名人の間で、「被挑戦者」の座を争う「被挑戦者決定戦」三番勝負が行われ、これを制して「被挑戦者」となった大山名人が、丸田祐三・八段との第2期王将戦七番勝負(三番手直りの指し込み制度)を4勝3敗で制し、第2期王将となった[25]。
- ^ 昭和31年当時、故郷にいた升田の母は年老いて病気がちであった[27]。母を世話している升田の兄から、香落ちの第4局が終わった後に、母はこの辺で止めておけと言っている、と示唆する俳句を記した手紙が升田に届いた[27]。
出典
- ^ a b c d e f g h i 升田 2003, pp. 284‐287, 「陣屋事件」の真相‐香落ち戦は「陣屋」で
- ^ a b 加藤 1987, pp. 108–109, 第1期王将戦第5局の結果を報じた毎日新聞の記事(昭和27年2月13日朝刊)
- ^ 加藤 1987, pp. 108–109, 第1期王将戦第6局の開催を伝える毎日新聞の記事(昭和27年2月18日朝刊)
- ^ a b c 加藤 1987, pp. 108–109, 陣屋事件を報じる毎日新聞の記事(昭和27年2月18日夕刊)
- ^ a b c d e f 加藤 1987, pp. 100–101, 第5章-激動の時代‐概説(筆者:山口恭徳)
- ^ a b c 升田 2003, pp. 277‐279, 「陣屋事件」の真相‐(冒頭)
- ^ 倉島 1985, pp. 209–222, 第6章-大山・升田時代の幕開け-1
- ^ a b c 倉島 1985, pp. 222–230, 第6章-大山・升田時代の幕開け-2
- ^ 升田 2003, pp. 295‐300, 「陣屋事件」の真相‐指し込み第一号の譜 昭和27年2月11・12日 大阪「羽衣荘」 第一期王将戦七番勝負第五局 △名人 木村義雄 - ▲八段 升田幸三
- ^ 升田 2003, pp. 41–44, 決意を物差しに残し家出‐(冒頭)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 升田 2003, pp. 288‐290, 「陣屋事件」の真相‐積もった不満が爆発
- ^ a b c d e f g h 河口 2003, pp. 37‐45, 棋界政治と大山会長
- ^ a b c 倉島 1985, pp. 239–254, 第6章-大山・升田時代の幕開け-4
- ^ a b c d 東 1996, pp. 353–378, 升田幸三 対局記録
- ^ a b c d e 加藤 1987, pp. 108–109, 升田への1年間対局停止処分を報じる毎日新聞の記事(昭和27年2月22日夕刊)
- ^ a b c d 升田 2003, pp. 290–291, 要約して引用された、升田への1年間対局停止処分を報じる毎日新聞の記事(昭和27年2月23日<ママ>)。「加藤 1987, pp. 108-109, 升田への1年間対局停止処分を報じる毎日新聞の記事(昭和27年2月22日夕刊)」と内容が一致する。
- ^ 加藤 1987, p. 76, スポット3-将棋連盟本部の変遷(筆者:加藤治郎)
- ^ a b c 升田 2003, pp. 290–292, 「陣屋事件」の真相‐出場停止の処分決定
- ^ a b “59年前の王将戦で升田幸三が木村義雄との香落ち戦を対局拒否した「陣屋事件」”. 田丸昇公式ブログ「と金横あるき」 (2011年3月22日). 2012年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月5日閲覧。
- ^ a b c 加藤 1987, pp. 108–109, 木村名人の裁定について報じた、毎日新聞の記事(昭和27年3月15日夕刊)
- ^ a b c d 升田 2003, pp. 293–294, 「陣屋事件」の真相‐被告席に立った代償
- ^ 東 1996, pp. 134–137, 木村名人の裁定
- ^ “王位戦中継ブログ-第51期王位戦七番勝負第6局-升田幸三実力制第四代名人の絵”. 日本将棋連盟 (2010年9月1日). 2017年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017-0805閲覧。
- ^ a b 河口 2013, pp. 64–71, 小太刀の名手-丸田祐三その2
- ^ a b c d e f 加藤 1987, pp. 126–127, 第6章-兄弟弟子の死闘‐概説(筆者:清水孝晏)
- ^ 升田 2003, pp. 322–326, 二十四年の夢ここに成る-第11番 空前絶後の譜
- ^ a b c d 升田 2003, pp. 327–330, 名人位も獲得、三冠を独占-(冒頭)
陣屋事件(じんやじけん)
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