升田幸三とは? わかりやすく解説

升田幸三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 03:34 UTC 版)

升田 幸三(ますだ こうぞう、ますだ こうそう、1918年大正7年〉3月21日 - 1991年平成3年〉4月5日)は、将棋棋士実力制第四代名人。棋士番号18。


注釈

  1. ^ 1934年(昭和9年)2月(日付は不明)に初段に昇段した升田のプロデビュー戦は、昭和9年2月の「中国民報山陽新聞の前身紙)・勝ち抜き戦」(対・飯塚勘一郎六段)であった[5]
  2. ^ 同年に大山も同様に、東京に転居している。
  3. ^ 理屈としては、一応二人零和有限確定完全情報ゲームである以上、最良の手を突き詰めれば「先手必勝」「後手必勝」「両者引き分け(千日手または持将棋)」のいずれかに行き着く。しかし、少なくとも現在考えられうる理論的可能性として、組合せ爆発のために現実的な話ではない。
  4. ^ 羽生善治は、昭和20~30年代の升田が既に現代将棋の感覚を持っていたと評価している。1995年9月28日 日本経済新聞夕刊
  5. ^ 1968年の第27期名人戦第2局で先手番で採用した。ちなみに後手番は大山康晴十五世名人で四間飛車であった。しかし、升田の構想が先進過ぎて、当時の将棋界は升田の「珍しい左穴熊」を居飛車穴熊とは認識できなかった。後年になって升田自ら、この一戦を「升田の将棋指南シリーズ/四間飛車の指南(大泉書店)」でも取り上げており、田中寅彦九段を元祖として居飛車穴熊戦法がプロの間に流行していたことに触れて、自分のことを忘れてもらっては困るともユーモアたっぷりにコメントしていた。
  6. ^ なお、それ以前に「名誉名人」の称号を升田に打診したが、小菅剣之助土居市太郎のように「名人になっていない棋士」に与えられた称号であったため、升田が拒否した。それまでは「元名人」などの肩書を用いたこともあった。例)『升田のアドバイス 元名人 升田幸三』(近代将棋1986年1月号 別冊付録)
  7. ^ 羽生は、引退後の升田と囲碁を打ったことはあるが将棋は指してもらえなかった。
  8. ^ 出典には「ベタ金の軍服を着たエラそうなのが四、五人」とある[14]。「ベタ金」とは、階級章が(ほとんど)金色であることからくる、将官の俗称[15]
  9. ^ ビールを要求したのは升田自身だった。「相手の意図が分からず、言葉じりをつかまれたらアホくさいので、難しい質問をされたら便所へ立ち、じっくり返事を考えよう」という、升田があらかじめ立てていた作戦による。

出典

  1. ^ a b 升田 2003, pp. 100–101, とうとう「初段」になった-「きょうから初段だ」
  2. ^ 名人2期を含む
  3. ^ 東公平『升田幸三物語』角川書店、2003年 ISBN 978-4043714018 10頁。地元の有名人にあやかった名前という。名前に「三」の字が入っているが、三男ではなく四男である。
  4. ^ a b 升田 2003, pp. 94–97, とうとう「初段」になった-(冒頭)
  5. ^ 升田 2003, pp. 102–107, とうとう「初段」になった-第1番 初陣の譜
  6. ^ 加藤治郎原田泰夫『[証言]将棋昭和史』(執筆)田辺忠幸、毎日コミュニケーションズ P.220-221「将棋昭和史年表」(加藤久弥、越智信義
  7. ^ 『升田幸三物語』P.62
  8. ^ 『名人に香車を引いた男』
  9. ^ 早瀬圭一「無理難題「プロデュース」します 小谷正一伝説」岩波書店
  10. ^ 井上靖『過ぎ去りし日日』日本経済新聞社、1977年、53-54頁。 
  11. ^ 週刊将棋編『名局紀行』(毎日コミュニケーションズ)P.148
  12. ^ 東公平「大豪升田幸三健在なり 鬼才小池重明を一蹴 九段升田幸三✕アマチュア名人小池重明」 雑誌:リベルタン(ファンタスティックコレクションの別冊)1982年朝日ソノラマ
  13. ^ 真部一男『升田将棋の世界』日本将棋連盟、2005に羽生や先崎とビールを飲みながら碁を打つ升田の晩年の写真が掲載されている。
  14. ^ a b c d e f g 升田 2003, pp. 219–229, GHQ高官の度肝を抜く
  15. ^ 雨倉 1997, pp. 13–14, ベタ金の由来
  16. ^ 山岸浩史「棋士たちの真情 中井広恵はサムライである:中井広恵女流王将・倉敷藤花」将棋世界2004年10月号当時写真週刊誌が『美少女棋士のテニスウェア姿を激写!』という企画を組もうとしたという。
  17. ^ HIROE624 中井広恵Twitter参照
  18. ^ 東公平『升田幸三物語』日本将棋連盟、1996年。
  19. ^ なお、升田幸三著『升田幸三名局集』では、「私の自伝『名人に香車を引いた男』では、この朝、(中略)になっている。これは前夜の誤りだ。ここで訂正しておく」と自ら訂正をしている。
  20. ^ 「名人に香車を引く」王将戦の創設時に升田は。【升田幸三特集 第2回】”. 日本将棋連盟. 2023年6月11日閲覧。
  21. ^ 陣屋事件--升田の夢が現実になったとき【升田幸三特集 第3回】”. 日本将棋連盟. 2023年6月11日閲覧。
  22. ^ 升田 2003, pp. 83–86, 将棋どころか雑用ばかり-(冒頭)
  23. ^ 升田 2003, pp. 91–93, 将棋どころか雑用ばかり-雑用に追われる毎日
  24. ^ 升田 2003, pp. 108–110, 強くなって生意気ざかり-(冒頭)
  25. ^ 升田 2003, pp. 113–114, 強くなって生意気ざかり-兄弟子はいつも弱い
  26. ^ 升田 2003, pp. 130–133, 母の愛で死の床から帰る-(冒頭)
  27. ^ 升田 2003, pp. 133–136, 東京勢を粉砕して五段へ-(冒頭)
  28. ^ 升田 2003, pp. 162–165, 宿敵・木村名人と初の対決-妥当木村を公言する
  29. ^ 升田 2003, pp. 178–180, 軍隊三年の空白の後に・・・-痛恨の敗戦
  30. ^ 1956年度の九段戦七番勝負が行われたのは1957年2~4月であるため、決着は王将戦より遅かった。


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