古代との画期の見直し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 04:25 UTC 版)
しかし、こうした見方はあまりに政治史的であり、また鎌倉幕府の成立時期や平氏政権の評価について異論が出され、武士の発生過程も見直されるなどして、従来の区分は広く受け容れられなくなった。 そして、中世を通じて支配の基層にあった在地領主(御家人・非御家人→国人)や、その領主的所有・支配の対象であり中世的な重層的土地収益権(職の体系)が成立した公領・荘園を重視する社会経済史・土地制度史面からの捉え方により、荘園公領制が確立した院政期(1100年頃以降)を中世初期に含める見解が有力になり、学校教育においても、すでに1980年代頃からこれに沿った構成を取る教科書が増えている。さらに遡って、律令制から王朝国家体制に移行する平安中期(900年頃以降)を発端とする意見もある。平安時代は古代から中世への過渡期と考えられ、どちらに分類するかはいまだに議論があり、中立的な概念として、古くから主に文学史の世界で使われてきた「中古」という語を用いることもある。
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