古丁銀の種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 14:54 UTC 版)
古丁銀は以下のものが知られているが、いずれも現存極めて稀少である。 萩古丁銀(はぎこちょうぎん):無銘の丁銀で石州丁銀(せきしゅうちょうぎん)ともいい、石州銀であるが長州藩に所蔵されていたため「萩」と称される。 譲葉丁銀(ゆずりはちょうぎん):萩古丁銀より細長い譲葉の様な形状のもの。 御取納丁銀(おとりおさめちょうぎん):譲葉丁銀に「御取納」の極印が打たれ、毛利氏が永禄3年(1560年)、正親町天皇の即位礼のとき献上したもの。 文禄石州丁銀(ぶんろくせきしゅうちょうぎん):文禄2年(1593年)、文禄の役で豊臣秀吉が諸大名への賞賜用として鋳造させたもの。 御公用丁銀(ごくようちょうぎん):「御公用」の極印が打たれ、毛利氏が朝廷に貢納したもの。 博多御公用丁銀(はかたごくようちょうぎん):「御公用」「文禄二中山与左衛門」の極印が打たれ、文禄の役の際、豊臣秀吉が鋳造させたとされる。 天又一丁銀(てんまたいちちょうぎん):文禄2年(1593年)鋳造で山奉行、天野又衛門および周防の「一の坂銀山」を指すとされる。 小銀(しょうぎん):譲葉丁銀に「小銀」の極印が打たれる。 八福丁銀(はちふくちょうぎん):横書きの「福八」の極印が打たれる。 大与大丁銀(だいよだいちょうぎん):「大与大(花押)」の極印が打たれる。 菊一文字印銀(きくいちもんじいんぎん):慶長3年(1598年)頃に堺の南鐐座職人により慶長丁銀の鋳造にあたり、家康の上覧に供されたもの。 夷一文字印銀(えびすいちもんじいんぎん):南鐐座職人により慶長丁銀の鋳造にあたり、家康の上覧に供されたもの。 括袴丁銀(くくりはかまちょうぎん):南鐐座の湯浅作兵衛が慶長丁銀の鋳造にあたり、家康の上覧に供され選定されたもので、大黒の袴の裾が括られている。 澤瀉丁銀(おもだかちょうぎん):湯浅作兵衛が慶長丁銀の発行に先立って試鋳したものと推定され、「常是」、「寳」および「大黒像」に加えて沢瀉紋の極印が打たれる。
※この「古丁銀の種類」の解説は、「丁銀」の解説の一部です。
「古丁銀の種類」を含む「丁銀」の記事については、「丁銀」の概要を参照ください。
- 古丁銀の種類のページへのリンク