古三原派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 05:22 UTC 版)
天平(729-749年)ごろに三原派の高祖とされる正家がいたという伝承もあるが、福永酔剣は、荒唐無稽な伝説の類であるとしている。 初代正家…右衛門尉正家(14世紀前半から文和2年(1353年)ごろ)大業物(『古今鍛冶備考』)。 師は唐河為遠とされる(『新刊秘伝書』)。現存最古の在銘刀は、島津家が天皇に献上した旧皇室御物の太刀で、備前の雲生・雲次(鵜飼派)に似ている(本間勲山説)。 「正家」「備後国住右衛門尉正家作」「備州住正家作」などと銘を切る。名振りが初期と晩年の文和の頃とで違い、初期は草書体である。年紀銘がある正家で現存最古のものは文和2年(1353年)のものだが、作風がそれより古いものもあるため、14世紀前半から活動していたと考えられる。 二代正家…左衛門尉正家(1356年から1375年ごろ)初代正家の息子とされる(『往昔抄』)。 「正家」 「備州住正家作」「備州住左衛門尉正家」「備後国住左衛門尉正家作」などと銘を切る。延文元年(1356年)から応安8年(1375年)までの年紀銘あり。 三代正家…兵庫助正家(1378年ごろ)良業物(『古今鍛冶備考』)。 藤代義雄は、この代の正家を古刀上作(五段階の中位)に数えている。 「備州住正家」「備後住正家」「兵庫助藤原正家」などと銘を切る。永和3・4・5年(1378年から1380年)、天授4年(1378年)の年紀銘あり。
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