取次_(豊臣政権)とは? わかりやすく解説

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取次 (豊臣政権)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 20:53 UTC 版)

取次(とりつぎ)は、本来は伝達元と伝達先の間に介在して情報等を相互に伝達する行為やその役割に当たる者を意味する(取次 (歴史学)参照)。こんにち、豊臣政権における「取次」が豊臣政権研究にとって不可欠の考察対象となっており(詳細後述)[1]、そのため本項では主に豊臣政権における取次について扱う。


注釈

  1. ^ 木下藤吉郎時代の秀吉も、主君織田信長に命じられて毛利家(当主は毛利元就)との外交交渉をおこなっており、そのことは永禄12年(1569年3月18日小早川隆景宛書状によって確かめられる。書状のなかで秀吉はこの職務を「申次」と表記しており、職務としては「取次」同様外交交渉ということであるが、「申次」の語は「命じられておこなうもの」という意味合いをもっていたと考えられる。山本(2009)pp.189-190
  2. ^ 「取次」概念の曖昧性について、山本博文は、「取次」研究は必ずしも完成された制度の考察をめざすものではなく、豊臣政権の大名統制の実体を究明するものであると説明している。山本(2009)p.226
  3. ^ 山本博文は、信長・秀吉の政権が天下統一の過程で外交交渉の窓口として設けた「取次」が、秀吉の天下一統後は制度的な任務を帯びたものと理解すべきであると述べている。山本(2009)p.226
  4. ^ 実際に取次の力で本貫の地の存続がゆるされた領主としては、天正9年(1581年)に馬を信長に献上した下野国の皆川氏がいる。その橋渡しをしたのが徳川家康であり、当主皆川広照は家康の与力となって天正10年(1582年)に信長に使節を派遣した。しかし、直後に本能寺の変が起こり、そののち北条氏と徳川氏が和睦し、北条氏が下野に侵攻するなか織田政権によって東国「取次」を任じられていた上野国群馬県)の国主滝川一益が敗走するなどの情勢のなかで、皆川氏は天正18年(1590年)の秀吉の小田原征伐に際しては北条方として小田原城籠城軍に参陣した。しかし、豊臣政権の東国「取次」役となった家康の強い政治力によって小田原籠城の罪をまぬがれた。(高橋博 1992)
  5. ^ 秀吉側近石田三成・増田長盛は、秀吉に命じられて上杉家とのあいだの取次にあたっていたが、早い段階で豊臣政権に服した上杉景勝に対して両名は領内政治に干渉せず、秀吉の奏者(副状の発給者)の立場にとどまった。山本(2009)p.192
  6. ^ 天正17年(1589年)、伊達政宗が会津福島県西部)に侵攻して蘆名義広を追放したとき、激怒した秀吉を取りなしたのが浅野長政と富田知信であった。こののち、知信は北条氏との服属交渉失敗の責により幽閉され、長政が政宗に対する取次の中心となった。堀(2010)p.114
  7. ^ 伊達政宗は浅野長政を一生許さず、その縁者との茶会同席さえ忌み嫌った。江戸時代にはいった正徳2年(1712年)には江戸幕府が伊達・浅野両家の和解を仲介したが伊達家の拒否で失敗し、両家が和解したのはようやく1994年平成6年)のことであった。堀(2010)pp.114-115
  8. ^ 文禄元年(1592年)、島津氏配下の梅北国兼肥後国熊本県)で一揆(梅北一揆)を起こした際、島津義弘は島津領の検地の実施を石田三成に要請し、その結果島津家の石高は大幅に増加した。三成は島津氏に対し、関ヶ原の戦いの段階まで影響力を持ちつづけた。山本(2009)pp.196-198
  9. ^ 田中誠二による山本博文の所論に対する批判の一部。山本は、これに対し、取次が慣習に依拠したことはむしろ議論の前提であり、制度的に機能したことと矛盾せず、また、「薩摩取次」と認められていた石田三成と島津義久・義弘兄弟とがたがいに旧知の間柄にあったわけではないことなどを掲げて反論している。山本(2009)pp.208-211
  10. ^ 山本博文によれば、慶長19年(1614年)の吉川家文書に「中国に対して取次候」と記された黒田孝高は、「御取次之筋目」すなわち「手筋としての取次」を担った外交交渉役であり、毛利家の内政に介入しえた公的制度として運用された「取次」ではなかったとしている。(山本 2009, p. 214-218)
  11. ^ 堀新は、それゆえ、「取次」は正式な職であるとしている。堀(2010)p.114
  12. ^ 堀新は、「取次」は、現代でいえば大物政治家秘書側近に近い存在と位置づけている。堀(2010)p.114
  13. ^ 毛利輝元が徳川家臣に敬称を付したのは、徳川秀忠領知充行状を発給しはじめた元和3年(1617年)がはじめてであった。鍋本(2003)p.40
  14. ^ 桑田忠親によれば、五奉行が古文献に現れるのは慶長3年(1598年)8月5日であり、五奉行制度の成立は、それに先だつ同年7月のこととしている。なお、そのとき秀吉はすでに病床にあったことが知られる。(桑田 1975)
  15. ^ ただし、山本博文によれば、五奉行連署の奉書は初見が文禄4年(1595年)であり、「奉行」職そのものの成立もその頃までさかのぼり、「五大老」の原型もまた文禄4年の秀次事件直後の法令に確認されるとしている。(山本 2009, p. 227-235)

参照

  1. ^ a b 山本(2009)pp.208-209。原出典は津野倫明「豊臣政権の「取次」蜂須賀家政」(2001)
  2. ^ a b 山本(1984)
  3. ^ a b 津野(1997)
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 山本(2009)
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 山本(1990)
  6. ^ a b c d e f g 堀(2010)
  7. ^ 山本(2009)p.210。原出典は田中誠二「藩から見た近世初期の幕藩関係」(1992)
  8. ^ 斎藤司「豊臣期関東における増田長盛の動向」、『関東近世史研究』17号、1984年
  9. ^ (山本 2009, p. 221) 原出典は津野倫明「豊臣~徳川移行期における「取次」」(2001)
  10. ^ 堀(2010)p.116。原出典は高木昭作『日本近世国家史の研究』(1990)
  11. ^ 小竹(1999)
  12. ^ 西野(2003)
  13. ^ 斎藤(1984)
  14. ^ 国重(1988)
  15. ^ a b 鍋本(2003)
  16. ^ 池(1995)
  17. ^ a b c 曽根(1991)
  18. ^ a b 高木(1989)



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