原住民語以外の言語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 16:27 UTC 版)
「南スーダンの言語」の記事における「原住民語以外の言語」の解説
イギリス・エジプト領スーダンで行われた1928年4月のrejaf language conferenceで、南部で英語による学校教育が行われることが決まった。独立後、スーダン政府は英語をアラビア語に置き換えようとしたが、1972年の和平協定の一環として、スーダン南部のほとんどの学校で英語が教育の手段として継続することが保証された。英語は、南スーダンあるいはディアスポラで、学校に行く機会を得た人々によって広く話されている。 ケニア駐在の南スーダンの大使が、2011年8月2日、「南スーダンにおいて、スーダンやアラブ連盟ではなく東アフリカ共同体への方向で、スワヒリ語がリングワ・フランカとして、アラビア語と置き換える目的で導入される」と述べた。それにもかかわらず、南スーダンは2014年3月25日にアラブ連盟に加盟申請したが、まだ保留中である。新聞アッシャルクル・アウサトのインタビューで、南スーダンの外務大臣デン・アロルは「南スーダンはアフリカでアラブ世界に最も近い国である。我々はジュバ・アラビア語として知られる独特なアラビア語を話している」と述べた。スーダンは、アラブ連盟に対する南スーダンの加盟申請を支持している。 スーダン内戦中にキューバで育てられた600人ほどのスーダン難民のグループも流暢にスペイン語を話す。彼らはthe Cubanosと名付けられ、独立時までにジュバに定住した。 スーダンとの国境地帯である西バハル・アル・ガザール州で、en:Baggara Arabs(伝統的な遊牧民)が人数が不確定ながら季節ごとにまたは恒久的に居住している。彼らの言語はアラビア語チャド方言であり、伝統的な領域はコルドファンとダルフールのスーダン側にある。首都ジュバには、ジュバ・アラビア語(アラビア語のピジン言語)を話す数千人の人々がいる 。南スーダンが1世紀ほどスーダンの一部だったので、南スーダン人の中には、アラビア語スーダン方言やフスハー(標準アラビア語)に精通している人々もいる。ジュバ・アラビア語が南スーダンでリングワ・フランカになっている。
※この「原住民語以外の言語」の解説は、「南スーダンの言語」の解説の一部です。
「原住民語以外の言語」を含む「南スーダンの言語」の記事については、「南スーダンの言語」の概要を参照ください。
- 原住民語以外の言語のページへのリンク