南硫黄島と人間との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 03:09 UTC 版)
「南硫黄島原生自然環境保全地域」の記事における「南硫黄島と人間との関わり」の解説
南硫黄島は、サンゴ礁の発達が悪いうえに湾や入江がほとんど見られないため、外洋の波浪が海岸線に直接打ちつけており、上陸自体が困難である。島自体も皇居ほどの大きさの島に916メートルという山がそびえ、平均斜度45度というきわめて険しい地形であり、また真水もほとんどないことから、人間が上陸した記録自体が少なく、これまで開発の手が入ることがなかった。 南硫黄島の発見は1543年、スペイン船サン・ファン号による火山列島発見時のこととされる。その後も北太平洋を航海する船によって目撃された記録が残っている。1885年(明治18年)末、函館を出航した松尾丸が遭難、漂流の結果、南硫黄島に漂着し、乗組員のうち3名が救助されるまでの約3年半、島で過ごした。また第二次世界大戦終了直後、アメリカ軍によって南硫黄島で1人の日本人が発見されたとの話が伝えられているが不確実である。 しかし南硫黄島を開発しようとする試みがこれまでまったく行われなかったわけではない。1896年(明治29年)から北硫黄島の開拓を始めた石野平之丞は、火山列島を構成する北硫黄島、硫黄島、南硫黄島すべてを調査したうえで北硫黄島の開拓に乗り出したと伝えられており、また1917年(大正6年)には硫黄島の住民が南硫黄島に上陸し、サトウキビなどの栽培を試みた。しかし上陸自体が困難であるうえに、島自体のきわめて険しい地形、そして真水がきわめて乏しいという悪条件は、このような開発の試みを挫折させたと考えられる。
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