午後1:05
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 14:11 UTC 版)
「サン・ビセンテ岬の海戦」の記事における「午後1:05」の解説
午後1時05分、ジャーヴィスは信号を掲げた: 相互支援ニ適切ナ位置ニ占位シ、敵ニ接触デキ次第交戦セヨ。 ネルソンはそのとき彼自身の戦隊の旗艦「キャプテン」に戻っており、イギリス戦列の後方(15隻中13番目)にいた。それはスペイン艦隊の風上の(大きな方の)戦隊に最も近い位置だった。彼は、自軍の艦隊運動が結果的にスペイン艦隊を捕捉できない結果に終わるという結論に達した。スペイン艦隊の動きを阻止できなかった場合には成果のすべてが失われてしまう。ネルソンは、ジャーヴィスの信号を拡大解釈し、かつ戦闘序列を無視して、旗艦「キャプテン」のミラー艦長に、下手回しをしてスペインの風下戦隊と交戦していた戦列から離脱するよう命じた。 「キャプテン」はただちに回頭し、後続艦「ダイアデム」と殿艦「エクセレント」の間をすり抜け、スペインの風上戦隊の中央グループに突っ掛けていった。このグループには当時最大の130門の砲を備えた4層甲板の巨艦「サンティシマ・トリニダー」がおり、他にも112門艦「サン・ホセ」、同じく「サルバドール・デル・ムンド」、84門艦「サン・ニコラス」、74門艦「サン・イシドロ」、112門艦「メヒカーノ」がいた。 ネルソンの下手回しの決定は、重大な意味を持つものだった。下級指揮官として、彼は司令長官ジャーヴィス提督の命令に従う義務があった。しかし彼は「「ヴィクトリー」の前後に戦列を作る」という命令に背き、かつ別の信号に対して勝手な拡大解釈を行っていた。もしその行動が失敗したならば、彼は敵前での命令違反の科により軍法会議にかけられ、指揮権の剥奪や不名誉な処罰の対象となったはずである。 午後1時30分頃、「カローデン」はスペイン艦隊の後尾に徐々に追いつきつつあったが、十分な接近戦を行える状況には達していなかった。ジャーヴィスは最後尾の「エクセレント」に信号を送り、左舷開きにして風上に向かうように命じた。「エクセレント」のカスバート・コリングウッド艦長は回頭し、「カローデン」の前方に艦を進めた。数分後、「ブレニム」と「プリンス・ジョージ」も追いつき、イギリス艦隊は一挙にスペイン艦隊に襲いかかった。 「キャプテン」はその時6隻のスペイン艦から攻撃を受けていた。そのうち3隻は112門の3層艦であり、さらに130門・4層甲板の旗艦「サンティシマ・トリニダー」もその1隻だった。午後2時頃、「カローデン」は、敵巨艦群から猛攻撃を受けている「キャプテン」を援護すべく前方に進出し、その敵の舷側砲火を引き受けた。その一時の猶予をとらえて、「キャプテン」は弾薬の砲側への補充と動索の補修を行った。 信号を受けて風上に回頭した「エクセレント」は、2:35に、戦闘不能に陥っていたスペインの3層甲板船「サルバドール・デル・ムンド」に並び、数分間その風上側から攻撃した。そして後続するスペイン艦「サン・イシドロ」の横に並んだ。「サン・イシドロ」は既にトップマストが3本とも撃ち倒された状態だったが、コリンウッドは2時50分まで近接戦を行った。「サン・イシドロ」は操艦不能なまま勇敢な防戦を行ったが、ついにその旗を降ろした。 その直後、「エクセレント」と「ダイアデム」は「サルバドール・デル・ムンド」に対し、「エクセレント」は風上舷の前部から、「ダイアデム」か風下舷の艦尾から攻撃を開始した。そのときさらに「ヴィクトリー」が艦尾近くを通過しようとしているのを見て、すでにほとんど戦闘力を失っていた「サルバドール・デル・ムンド」は、観念して旗を降ろし、降伏した。
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