千代野伝説とは? わかりやすく解説

千代野伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 03:28 UTC 版)

無外如大」の記事における「千代野伝説」の解説

伝燈録』を始めとして、無外如大の初名を千代野千代能)とする伝承は多いが、古い史料では確認できない西山美香は、室町時代末期成立した大徳寺夜話』に無外如大千代野別々に収録されていることから、この頃までは別人として認識されていたとしている。また山家は、元々は美濃伝わっていた千代野伝説が、15世紀中頃無外如大伝承取り込まれたのであろうとしている。 美濃の千代野伝説は、東福寺の僧・大極の日記碧山日録』に記されている。大は、美濃国関にある大雄寺居た時に次のような話を聞いた記している。 大雄寺から西2里に千代奴池がある。そこにかつて高徳の尼が庵を構え千代という奴が仕えていた。ある時、千代を汲もうとしたところ、の底が抜け、それを機に千代悟り得たそれゆえ千代奴池と呼ばれた。 — 『碧山日録寛正2年1461年12月13日徳田和夫米田真理子は、この伝承は奈良絵本などに見られる説話類似しており、その成立室町末期14世紀末)とみられ、熊野信仰圏で発生したとしている。山家は、宝慈院美濃紙を扱う商人出入りしていた事、あるいは開祖無外如大とする関市見寺に千代野伝説が現在も伝承しているが、その一帯臨済宗相国寺所領であった事などから、15世紀半ばごろに美濃の千代野伝説が無外如大伝承取り込まれたと推測している。 この逸話白隠禅画題材にもなっており「千代のふがたのみしの底ぬけてみづたまらねば月もやどらず」の賛が詠まれている。またこの伝承は、鎌倉市海蔵寺の底脱の井にも見られるが、永井晋は、江戸時代称名寺史料海蔵寺開祖無着安達千代野)と記されており、千代野伝説は安達千代野伝承とも混同されたとする

※この「千代野伝説」の解説は、「無外如大」の解説の一部です。
「千代野伝説」を含む「無外如大」の記事については、「無外如大」の概要を参照ください。

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