前身事業者の概要
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「東京電力 (1925-1928)」の記事における「前身事業者の概要」の解説
東京電力の供給区域は会社合併によって継承した地域がほとんどである。ここでは、旧早川電力・群馬電力時代も含めて東京電力が吸収した群馬・静岡方面の電力会社について改めて記述する。 吾妻軌道株式会社 旧群馬電力が1924年10月27日に合併。合併前の供給区域は群馬県吾妻郡中之条町・名久田村・沢田村・原町・小野上村(1921年6月時点)。 吾妻軌道は「吾妻温泉馬車軌道」の社名で1910年(明治43年)10月17日に設立。馬車鉄道事業と電気事業を目的とする会社であり、馬車鉄道に先駆けて1912年(明治45年)5月より中之条町への供給を開始した。翌1913年(大正2年)7月に社名を吾妻軌道へと改めている。自社電源として名久田村と沢田村の2か所に水力発電所(出力計92kW)を持った。 日英水電株式会社 旧早川電力が1920年3月15日に合併。合併前の供給区域は静岡県のうち浜松市・浜名郡・引佐郡と磐田郡・小笠郡・榛原郡・志太郡の各一部(1919年末時点)。 日英水電は1911年(明治44年)2月20日東京に設立。浜松の浜松電灯を吸収して開業したのち、志太郡島田町の島田電灯や引佐郡気賀町の気賀電気を統合しつつ供給区域を拡大した。電源面では1912年6月に大井川本流に出力1,400kWの小山発電所を建設、そこから島田・金谷(榛原郡)・川崎(同)・浜松の4変電所へと送電する体制を築いた。その後は西に離れた愛知県の矢作川に水力地点を求めて2か所の水力発電所(出力計2,619kW)を完成させたが、大戦景気下では恒常的な供給力不足に悩まされた。 天竜電力株式会社 旧早川電力が1922年4月12日に合併。供給区域は静岡県磐田郡のうち二俣町ほか26町村と周智郡一宮村(1921年6月時点)。 天竜電力は1907年(明治40年)1月15日二俣町に設立。翌1908年(明治41年)9月に二俣町を供給区域として開業した。1911年には磐田郡中泉町に営業所を開設し、供給区域を拡大している。二俣付近に3か所の水力発電所を建設したが、小規模で出力は計320kWに過ぎない。 福田電力株式会社 旧早川電力が1922年4月12日に合併。供給区域は静岡県磐田郡福島村(後の福田町)・豊浜村のみ(1921年6月時点)。 福田電力は1912年7月13日福島村福田に資本金3万5000円で設立。1916年(大正5年)5月に開業した。自社発電所は持たず、天竜電力からの受電を電源とした。 東遠電気株式会社 旧早川電力が1922年4月12日に合併。供給区域は静岡県榛原郡のうち相良・川崎・勝間田・坂部・初倉・吉田の6町村。 東遠電気は1910年12月10日川崎町静波に資本金8万円で設立。1912年6月に川崎町ほか2村を供給区域として開業した。同社も自社発電所は持たず、早川電力からの受電を電源とした。 静岡電力株式会社 東京電力が1926年10月20日に合併。供給区域は静岡県磐田・小笠・榛原・志太・安倍・庵原・富士の7郡と山梨県南巨摩郡・西八代郡にまたがる(1925年末時点)。 静岡電力は1920年(大正9年)10月23日に設立。製紙会社四日市製紙が兼営した電気供給事業を、同社を合併した富士製紙が分離することで成立した。その後1922年にかけて遠江電気・御前崎軌道・身延電灯の3社を合併・吸収し事業を拡大している。電源は富士川水系芝川の水力発電所(4か所・総出力6,564kW)を中心とした。 また四日市製紙時代の1911年から大口需要家に静岡市営電気供給事業が存在した。市に対する供給契約は静岡電力時代に3,000kWとなっており、東京電力でも引き続き3,000kWを供給している(1927年5月時点)。
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