前田淑
前田淑
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江戸期の福岡県の女流文学研究者である前田淑による評論は以下の通りである。 『窈窕稿』に収められた漢詩は、前に述べたように少琹が十八歳ごろまでの作品であるが、父昭陽の薫陶の成果であろうか、あるいは亀井一族の作風であろうか、実に堂々とした風格をもっている —前田 淑、『江戸時代女流文芸史(俳諧・和歌・漢詩 編)』笠間書院、1999年、282頁 また、『近世地方女流文芸拾遺』には、 「少琹については、その知名度に比べて、漢詩人としての業績は、まとめられたものが少く、どちらかと言えば絵画や書跡の分野で知られた女性である。特に閨秀画家としての名声は『画乗要略(がじょうようりゃく)』(白井華陽著、天保二年序)、『古今南画要覧(ここんなんがようらん)』(嘉永六年序)にもその名が記されるほど、当代一流の画家として、全国的に著名な女性であった。勿論、漢詩についても、本著にみられるように、すでに十代の若い頃から父昭陽の薫陶をうけていたのであるが、その作はあまり陽の目をみることなく、永く亀井家に架蔵されたままになっていた。筆者は先年、少琹の小伝を書くにあたり(「福岡女学院短大紀要」第16号参照)、後裔である亀井准輔氏のご好意により、その作品の大略を披見することができた。 —前田 淑、『近世地方女流文芸拾遺』弦書房、2005年 481-482頁 と記載されている。
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