別伝・虚伝とは? わかりやすく解説

別伝・虚伝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:26 UTC 版)

三浦浄心」の記事における「別伝・虚伝」の解説

近藤瓶城小宮山綏介は、上の伝とあわせて、(義周は嫡派ではなく)嫡派は、最初四日市塩物河岸住みその後小舟町移った塩物店の三浦屋左衛門三浦三郎などという者、という別伝紹介したが、小宮山別伝出所とした『南卜庵筆記』の話の出所日夏繁高の話(後伝)であるし、小舟町三浦屋左衛門については、葉山新善光寺阿弥陀三尊立像台座に「江戸小船三浦氏池田右衛門とあって小舟町三浦屋右衛門池田氏であることが知られている。 北村包直『三浦大介三浦党』には、「三浦出口高信」について「出口次郎左衛門尉称し」、「其の弟は僧昌白」で、「高信嫡子五郎左衛門尉茂忠」が「領三浦三崎知行し三浦複姓」した、「三浦五郎太信泰(茂忠の一族)は、北条家仕へて、戦功多くして、元亀二年九月逝去其の嫡男勘解由世泰も、亦北条家の録を食み世安家の先祖になった、「三浦五郎左衛門義周」について、「紀藩三浦氏支族にて、有徳公の近侍為った」などの伝があるが、内海延吉三崎郷土史考』に、「『三浦大介』『三浦大介三浦党』『湘南半島』の著者北村包直氏は、(…)三浦史の権威として定評高かった著者初めの二冊は、三浦氏取材した創作であるが、素材素材でけに(ママ実説誤解されがちで、其の村井弦斎の『桜の御所』と同じである」と指摘がある。三浦地誌三浦氏に関する書籍には、北村著書内容実説誤解して引用している例がいくつかある。 鈴木かほる史料が語る向井水軍その周辺』に、天正18年小田原合戦のとき、西伊豆安良里砦に梶原備前守景宗三浦茂信が配されたとあり、倉員正江「北条五代記における関東戦国時代評をめぐって」はこれを引用し、「この砦を徳川水軍本多重次向井政綱攻められ、茂信は討死したかとされている」と記しているが、『北条五代記』および『相州三浦住三浦助伝記によれば浄心の父・三浦茂信は天正5年1577年)に没(病没)しており、『北条五代記によれば浄心自身小田原城籠城していたことが確からしい

※この「別伝・虚伝」の解説は、「三浦浄心」の解説の一部です。
「別伝・虚伝」を含む「三浦浄心」の記事については、「三浦浄心」の概要を参照ください。

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