初演の際の形式について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 09:54 UTC 版)
「タルチュフ」の記事における「初演の際の形式について」の解説
「魔法の島の楽しみ」にモリエールとその劇団が参加し、本作を上演したのは先述のとおりである。この催しについては、モリエールの劇団で会計係を務めていたラ・グランジュの付けていた「帳簿」に以下のような記述がある: 一座は国王の命令により、この月(=4月)の最後の日にヴェルサイユに赴き、5月22日までそこに滞在した。(中略)『エリード姫』のほか、『はた迷惑な人たち』、『強制結婚』、それに『タルチュフ』の三幕が上演されたが、それらは最初の三幕であった。 これと同様の記述が1682年にラ・グランジュの手によって刊行された、初のモリエール全集にも見える。こう考えると、この催しで上演された『タルチュフ』が言葉通りに、最初の三幕のみ上演されたのは疑いの余地がないように思えるが、彼の遺した「帳簿」の記述にはしばしば彼が後から手を加えたと思しき部分が多々あるため、鵜呑みにすることはできない。この記述がそうであるかどうかは判然としないが、他の作品については何の言及もしていないのに『タルチュフ』に限って、なぜわざわざ「最初の三幕」と記したのか、この記述を巡って色々な説が提出された。未完作品であったとする説、三幕完成作品だったとする説、現在の四幕目を含む三幕物だったとする説など、様々だが、決定的な証拠が見つかっていないため、確かなことは何もわかっていない。 ところが、もしこのときの作品が今日残る筋で、かつ三幕までの未完成作品であったと仮定すれば、そこにモリエールやルイ14世の作為を見出すこともできる。第三幕までのオルゴンといえば、どうにもならないお目出度い男のままで、ちょうど第三幕でその狂信による愚行が頂点に達しており、事態は良い方向へ進むどころか、一番悪い方向へと転がっている。このような愚かさは、中世フランスの笑劇でコキュ(=寝取られ亭主)が見せるものであった。ただ笑えればいい笑劇でならそのような結末もいいかもしれないが、本作のように信仰心を取り扱う舞台では、このような幕切れは深刻である。この幕切れは悪徳の栄え以外の何物でもないからだ。 オルゴンだけは自業自得の喜劇的な人物として描かれているが、それ以外の登場人物は、オルゴンの行為に割を食う悲劇的人物としか描かれていない。それだけにインパクトは強く、狂信者たちの前で演じるのが効果的という判断も可能になる。成立過程の項目でボワローの言葉として見たように、モリエールは事前に国王の面前でこの作品を朗読しているのだから、そのことは国王も承知していただろうし、この作品を上演させることで、宮廷にまで深く巣食い、自分を散々悩ませてきた聖体秘蹟協会をはじめとする信心家や偽善者たちへの十分な警告と成り得るからである。
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