公明党離党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 14:49 UTC 版)
2007年7月29日におこなわれる第21回参議院議員通常選挙において、公明党は福本を体調不良を理由に公認しないことを表明しており、選挙には立候補せず引退することが決まっていたが、6月15日、国会内での記者会見において、自身の引退について納得していないことと離党届を提出したことを表明する。席上、公明党について「全体主義的な体制だ」「ヒューマニズムを標榜していても、アンチ・ヒューマニズムの政党ではないか」などと批判を展開し、自公連立についても「妥協している面がすごく大きい」などと批判した。これに対して幹事長の北側一雄は「極めて言語道断。党員や支持者への裏切り行為で断じて許すことはできない」などと激しく非難した。6月18日、公明党は福本の離党届を受理せず、党規違反を理由に除名処分とすることを決定した。 詳細は「P献金#発生経緯」を参照 この参議院議員選挙について当初は野党の比例区からの立候補を模索していたが、福本と数回接触した民主党幹部らも難色を示したので、福本は7月9日、故郷である広島県選挙区(改選数2)から無所属で立候補することを表明。自公連立政権を批判し、与野党の逆転が争点だと訴えたが候補者6人中最下位で落選した。 2007年10月16日、参議院予算委員会で石井一(民主党)が福本の証言を元にして、福本の参考人招致を要求。12月4日、民主党役員会において福本を参議院で参考人招致する方針を固めた。 詳細は「石井一#発言・主張」を参照 2019年5月21日発令の春の叙勲で、旭日重光章を受章。
※この「公明党離党」の解説は、「福本潤一」の解説の一部です。
「公明党離党」を含む「福本潤一」の記事については、「福本潤一」の概要を参照ください。
- 公明党離党のページへのリンク