公明党代表
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公明党常任役員会代表(こうめいとう じょうにんやくいんかいだいひょう)は、公明党の党首である。略称は公明党代表。
- 1 公明党代表とは
- 2 公明党代表の概要
- 3 概説
- 4 公明党代表の一覧
- 5 関連項目
公明党代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 00:26 UTC 版)
2003年の第43回衆議院議員総選挙では比例単独から東京12区に国替えし、初めて小選挙区で当選。この選挙では自由民主党、保守新党の推薦を受けた(保守新党は選挙後自民党へ合流)。 2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案の採決で反対票を投じた八代英太(自民党の公認が得られず無所属で出馬)らを破り、5選。 2006年、神崎武法の退任に伴う公明党代表選挙に立候補し、太田以外に立候補者がいなかったため無投票で党代表に選出された。
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公明党代表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:22 UTC 版)
2009年9月8日、民主党への政権交代が起き自公両党が下野した第45回衆議院議員総選挙で落選し党代表を辞任した太田の後任として、(野党第二党の党首として)公明党代表に就任(その8日後の9月16日、麻生太郎内閣総辞職および鳩山由紀夫内閣成立)。なおその20日後の9月28日、同じく総選挙で敗北した自民党の麻生太郎総裁も(太田と異なり、落選こそしなかったものの)引責辞任し、その後継に総裁選挙を経て谷垣禎一が就任した。2010年9月、党代表に無投票再選。2012年9月、党代表に無投票3選。また、同年の自民党総裁選挙で谷垣の任期満了に伴う後継として、安倍晋三が就任。 2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では自民党が第一党に復帰し、公明党も議席を回復。自民党総裁の安倍晋三から自公連立政権の3年ぶりの再樹立を打診されたため、同月25日に安倍と連立合意文書を取り交わす。同月26日に野田佳彦第3次改造内閣総辞職により旧・民主党政権が終焉し、第2次安倍内閣が発足した。これに伴い、山口は与党第二党党首となった。 2013年1月、第2次安倍政権の与党幹部として初めて中国共産党中央委員会総書記習近平と会談し、内閣総理大臣安倍晋三から託された親書を手渡す。同年7月の第23回参議院議員通常選挙に公明党公認で出馬し、参議院議員として3選を果たした。2014年9月、党代表に無投票4選。2016年9月、党代表に無投票5選。2018年9月、党代表に無投票6選。2019年7月、第25回参議院議員通常選挙で4選。2020年9月27日の党大会で、無投票により7選。なお、(安倍首相の発病による辞任表明を受けて)この13日前の9月14日に行われた自民党総裁選挙で菅義偉が選出され、2日後の9月16日に首相就任、(第4次安倍第2次改造内閣総辞職に伴い)菅義偉内閣が発足。 2021年(令和3年)9月3日、自由民主党総裁である菅義偉は2021年自由民主党総裁選挙に立候補しないことを表明した。これにより山口が2009年(平成21年)9月8日に公明党の代表に就任して以来、連立相手である自由民主党は5人の総裁が就任することになる。なお1人目の麻生太郎に関しては山口が就任した8日後である2009年9月16日に辞任、10月1日には谷垣禎一が自民党総裁に就任した。その後安倍晋三、菅義偉の順に就任している。9月29日の投開票の結果、岸田文雄が総裁に就任することが決定、これで公明党代表に山口が就任して5人目の連立相手のトップは岸田ということになる。
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