入門から現役引退までとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 入門から現役引退までの意味・解説 

入門から現役引退まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:31 UTC 版)

濱錦竜郎」の記事における「入門から現役引退まで」の解説

大学卒業後は九州電力への入社内定していたが田宮加藤角界入りしたことに触発されたため、内定返上して追手風部屋入門し1999年3月場所に幕下付出初土俵踏んだ以降順調に番付上げて行き2000年7月場所十両昇進し四股名を『濱錦』へ改名大学先輩でもあり私生活でも親交があった柳川信行ある日電車高濱話していた際に師匠先代三保ヶ関実父である増位山大志郎若名乗りとして使っていた四股名濱錦」の話題出したことがあり、験担ぎのつもりで柳川襲名薦めたという。数日後先代三保ヶ関三保ヶ関部屋ゆかりの四股名であるにも拘らず襲名をあっさりと認めたという。2001年5月場所には新入幕果たした四つ相撲一時幕内定着しかけたが、2002年7月所を最後に十両陥落十両下がっていた2003年7月場所には右膝を故障して幕下まで陥落した2004年1月22日1月場所12日目に日本大学先輩である増健との取組叩き込み敗れた取組無気力相撲であったとして当時九重審判部副部長伊勢ノ海監察委員長から増健とともに厳重注意受けた2005年11月場所から四股名本名の『高濱』に戻した2006年11月場所は東幕下28目で全休したため2007年1月場所では、自身初の三段目(8目)に陥落その場所も1番相撲不戦敗の後全休し、3月場所では68目まで番付落としたその後三段目での勝ち越し負け越しの状態が続いたが、2008年1月場所は6勝1敗と久々に好成績挙げ3月場所において幕下復帰した2009年7月場所に再び四股名濱錦戻した2011年1月場所では東幕下15目で4勝3敗と、2005年3月所以来となる幕下15以内での勝ち越し果たした5月技量審査場所で再び勝ち越し決め大相撲八百長問題多く力士引退した影響もあり、7月場所十両に再昇進した所要39場所での再十両当時史上最長記録となった(現在は千代嵐50場所)。しかしその後は2場所連続負け越して11月場所では幕下戻った2012年1月場所に東幕下20目で3勝4敗と負け越したのを最後に同年2月22日日本相撲協会理事会において、2月29日付で引退し年寄春日山21代)を襲名することが承認された。これにより、協会理事専念する16元春日富士)に代わり春日山部屋師匠となった

※この「入門から現役引退まで」の解説は、「濱錦竜郎」の解説の一部です。
「入門から現役引退まで」を含む「濱錦竜郎」の記事については、「濱錦竜郎」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「入門から現役引退まで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「入門から現役引退まで」の関連用語

入門から現役引退までのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



入門から現役引退までのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの濱錦竜郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS