さの‐つねたみ【佐野常民】
佐野常民 さの つねたみ
佐賀生まれ。政治家。父は佐賀藩士。藩医佐野常徴の養子となる。藩校弘道館を経て江戸、大阪、京都に遊学し、緒方洪庵のもとで学ぶ。その後、長崎海軍伝習所に入り、新しい技術を習得する。慶応3年(1867)パリ万博には藩代表として派遣され、明治5年(1872)にはウイーン万国博覧会副総裁となる。以後、大蔵卿、元老院議長、枢密顧問官などを歴任。25年(1892)には松方内閣の農商務相を短期間つとめた。西南戦争の際に傷病兵を敵味方分け隔てなく救済する必要性を感じ博愛社を設立した。博愛社は20年(1887)に日本赤十字社と名称を変更し、佐野は初代日本赤十字社社長となった。
キーワード | 政治家 |
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佐野常民
佐野常民
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佐野 常民(さの つねたみ、1823年2月8日(文政5年12月28日) - 1902年(明治35年)12月7日)は、明治期の日本の政治家[1]。日本赤十字社の創始者。官職は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。栄典は正二位勲一等伯爵。「佐賀の七賢人」の1人。名は栄寿、栄寿左衛門。
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)「佐野常民」
- ^ 日本赤十字社の創設者
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 「佐野常民」 アジア歴史資料センター Ref.A06051168600
- ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第3746号「叙任及辞令」1895年12月21日。
- ^ a b 『官報』第5831号「叙任及辞令」1902年12月9日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
- ^ 『官報』第1169号、明治20年5月25日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』第3704号「叙任及辞令」1895年11月1日。
- ^ 『官報』第4638号・付録「辞令」1898年12月14日。
- ^ “世界遺産、見えた 佐賀市の三重津海軍所跡、施設リニューアル 名称は「佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館」に”. 佐賀新聞. 2021年9月25日閲覧。
- ^ 『日赤の創始者佐野常民』吉川龍子、吉川弘文館, 2001年、p208
- ^ 若井兼三郎(わかいけんざぶろう) 谷中・桜木・上野公園路地裏徹底ツアー
- ^ 『弊風一班 畜妾の実例』黒岩涙香、現代教養文庫、社会思想社、1992年、p68
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