佐野常羽とは? わかりやすく解説

佐野常羽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/14 08:37 UTC 版)

佐野さの 常羽つねは
佐野常羽
生誕 1871年8月18日明治4年7月3日
日本東京府麹町
死没 (1956-01-25) 1956年1月25日(84歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1891年 - 1920年
最終階級 海軍少将
除隊後 日本のボーイスカウト指導者として活動
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佐野 常羽(さの つねは、1871年8月18日明治4年7月3日) - 1956年昭和31年)1月25日)は、日本海軍軍人。海軍少将伯爵日本ボーイスカウトにおける指導者の訓練体系を確立した。日本赤十字社の創始者である佐野常民の子。

経歴

海軍兵学校に入学し、1891年明治24年)、卒業する(18期)。日清戦争では浪速分隊士として従軍。1900年(明治33年)2月、清国南部出張を命じられ、北清事変には和泉分隊長として参戦[1]1902年(明治35年)12月26日、家督を継いで伯爵となる[2]

東郷平八郎のもとで砲術長をつとめ、その後、海軍高等通訳官、ドイツ大使館付武官、戦艦榛名の艦長などを歴任する。ドイツ大使館付武官であった頃に、しばしばロンドンに滞在し、本場のボーイスカウト運動を多く見聞する。

退役後の1922年大正11年)、栃木県佐野に「唐沢義勇少年団」を結成。1924年(大正13年)、第2回世界ジャンボリーに参加(団長は三島通陽)し、その後ボーイスカウト国際会議に日本代表として参加。ギルウェル指導者訓練所(ギルウェル・パーク)に日本人として初めて入所する。1925年(大正14年)、富士山麓山中湖畔大洞にて第1回指導者訓練所開設(のちの山中野営場、中央指導者実修所)を開設し所長に就任。これによって、日本のボーイスカウト運動における指導者の訓練体系が確立された。1929年昭和4年)、第3回世界ジャンボリー派遣団の団長として大会参加。1931年(昭和6年)に、ロバート・ベーデン・パウエル卿より、ボーイスカウトイギリス連盟の最高功労章であるシルバー・ウルフ章を贈られる(日本人で本章を授与されたのは、昭和天皇と佐野の二人だけである)。

1954年(昭和29年)、ボーイスカウト日本連盟から「長老」の称号を贈られる。1955年(昭和30年)、日本連盟の最高功労章である「きじ章」を贈られる。1956年(昭和31年)、1月25日死去。享年86。

ボーイスカウト日本連盟所属の山中野営場(山梨県南都留郡山中湖村)の玄関には佐野の胸像が置かれている。また、山中野営場には彼の名をとった「佐野広場」があり、記念碑(道心堅固の碑)が建てられている。

親族

妻は保科正益の次女・尚子。養子の佐野常光(つねみつ、1906年生)は一条実輝公爵の次男で旧名・実光[3]。その妻佐野禮子竹田宮恒久王の第1王女。 養孫には 常行(1935年2月10日生、三女あり[4]) 常武(1942年5月9日生、[5]) 常倶(1946年12月29日生、[6]) がいる。

栄典

位階
勲章等

弥栄

読みは「いやさか」。ボーイスカウト日本連盟、およびギルウェル指導者訓練所の祝声である。

世界各国のスカウトは自国語の祝声(Cheer、他者を祝賀、賞賛する際や、再会を約して別れる折などに唱和する掛け声のこと。一般に用いられる万歳のようなもの)を持ち、日本連盟は古語である「弥栄」を採用していた。

1924年(大正13年)、ギルウェル指導者訓練所の所長であったJ・S・ウィルソンから、その時入所していた13国の指導者全員に、各国のスカウト祝声を披露するようにとの命令があった。

このとき佐野は、「弥栄」を披露し、「ますます栄える(More Glorious)」という意味であることを説明したところ、ウィルソン所長は、「発声は日本のものが一番よい。そのうえ哲学が入っているのが良い」と賞賛し、以後、ギルウェル訓練所の祝声を「弥栄」とすることに定めた。

清規三事

佐野常羽の残した教えのひとつに「清規三事」がある。(読みは「しんきさんじ」、「ちんぎさんじ」、「せいきさんじ」など諸説ある。)それぞれの英訳も佐野が行ったものである。

  • 実践躬行 (じっせんきゅうこう、Activity First)
スカウト運動(スカウティング)は、自ら実行することが第一である。
  • 精究教理 (せいきゅうきょうり、Evaluation Follows)
物事の実行には、その価値を評価し、反省し、そして理論を探求することが必要である。
  • 道心堅固 (どうしんけんこ、Eternal Spirit)
実行・評価・反省を繰り返して「さとり」をひらき、永遠に滅びることのない心境を開くよう努力すべきである。

著書

  • 『少年斥候法 四の巻』(少年団日本聯盟、昭和4年)

脚注

  1. ^ 読売新聞1904年(明治37年)3月5日号3面「佐野海軍大尉」に、「三十年には大尉に昇任し、三十二年軍令部出仕となり、官命を奉じて南清を視察し、北清事件の際には、和泉分隊長となり諸艦に転乗して功労あり」とある。
  2. ^ 『官報』第5847号、明治35年12月27日。
  3. ^ 一條實孝『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  4. ^ 平成新修旧華族家系大成上p688
  5. ^ 平成新修旧華族家系大成上p688
  6. ^ 平成新修旧華族家系大成上p688
  7. ^ 『官報』第7051号「叙任及辞令」1906年12月28日。
  8. ^ 『官報』第373号「叙任及辞令」1928年3月29日。
  9. ^ 『官報』第251号「叙任及辞令」1913年6月2日。
日本の爵位
先代
佐野常民
伯爵
佐野(常民)家第2代
1902年 - 1947年
次代
華族制度廃止




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