佐賀師範学校
(佐賀県師範学校 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/10 07:18 UTC 版)
佐賀師範学校 (さがしはんがっこう) は第二次世界大戦中の1943年 (昭和18年) に、佐賀県に設置された師範学校である。
- ^ 『佐賀市史 : 第3巻 近代編明治期』(1978年(昭和53年)) 784頁-787頁では単に 「講習所」、『佐賀県教育史 : 第4巻 通史編 (1)』(1991年(平成3年)) 604頁-606頁では 「小学教員講習所」 あるいは 「講習所」 と呼称されている。
- ^ 『佐賀市史 : 第3巻 近代編明治期』(1978年(昭和53年)) 784頁-787頁では 「教員伝習所」、『佐賀県教育史 : 第4巻 通史編 (1)』(1991年) 608頁では 「小学科伝習所」 と呼称されている。
- ^ 『佐賀市史 : 第3巻 近代編明治期』(1978年(昭和53年)) 791頁、『佐賀県教育史 : 第4巻 通史編 (1)』(1991年(平成3年)) 619頁。
- ^ 『佐賀県教育史 : 第4巻 通史編 (1)』(1991年(平成3年)) 962頁。
- ^ 『佐賀県教育史 : 第4巻 通史編 (1)』(1991年(平成3年)) 983頁。
- ^ 『佐賀県教育史 : 第5巻 通史編 (2)』(1992年(平成4年)) 480頁。
- ^ 『佐賀県教育史 : 第5巻 通史編 (2)』(1992年(平成4年)) 482頁。
- ^ 国立公文書館「飯田正宣外四名尋常師範学校長及教頭ニ被任ノ件」履歴書付、明治20年1月21日。改正官制に基づき、1887年1月21日に尋常師範学校長に正式就任。花房重治の出自は「佐賀県平民/嘉永元年三月生」。
- ^ 以降の校長名は 『佐賀県大百科事典』(1983年) 346頁による。就任・退任年月は記されていない。
- ^ 校長名は 『佐賀県大百科事典』(1983年) 346頁による。就任・退任年月は記されていない。
- ^ 『官報』第4865号、昭和18年4月2日。
- ^ 『佐賀大学の物語』 20頁(PDF版 23 / 131 頁)、24頁(PDF 27 /131 頁)、2016年1月3日閲覧。
- 1 佐賀師範学校とは
- 2 佐賀師範学校の概要
- 3 校地の変遷と継承
- 4 外部リンク
佐賀県師範学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 00:23 UTC 版)
1898年(明治31年)4月1日 - 師範教育令に準拠し、佐賀県師範学校と改称。 9月 - 規則を制定し、男子入学資格: 16歳-20歳、女子入学資格: 17歳-20歳とする。 1907年(明治40年)4月 - 旧佐賀城三の丸 (九州沖縄八県連合共進会会場跡) に移転 (1908年(明治41年)5月移転完了)。男子部は現 佐賀県立博物館・美術館付近、女子部は現 佐賀大学文化教育学部附属中学校付近に所在。 1908年(明治41年)3月30日 - 規則を改定し、本科第一部 (4年制)・本科第二部 (男子のみ、1年制、中学卒対象)・予備科 (1年制。2年制高等小学校卒対象)・講習科を設置。 4月: 私立佐賀婦人会附属幼稚園を代用附属とする。 1911年(明治44年)4月 - 女子部に本科第二部を開設 (高等女学校卒対象)。佐賀市立赤松尋常小学校を代用附属とする。 1925年(大正14年)4月 - 本科第一部を5年制に変更 (2年制高等小学校卒対象)。校内に佐賀県実業補習学校教員養成所を附設 (のちの佐賀青年師範学校)。 1926年(大正15年)4月 - 専攻科を開設 (1年制)。 1928年(昭和3年)4月 - 女子部が分離独立し、佐賀県女子師範学校開校。佐賀県師範学校は男子校となった。 1931年(昭和6年)4月 - 本科第二部を2年制に延長。 1932年(昭和7年)- 本科第二部の募集を一時停止。 1940年(昭和15年)3月 - 本科第二部に 「大陸科」 を設置。
※この「佐賀県師範学校」の解説は、「佐賀師範学校」の解説の一部です。
「佐賀県師範学校」を含む「佐賀師範学校」の記事については、「佐賀師範学校」の概要を参照ください。
- 佐賀県師範学校のページへのリンク