会津会とは? わかりやすく解説

会津会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:40 UTC 版)

松平保男」の記事における「会津会」の解説

ウィキメディア・コモンズには、会津会に関連するカテゴリあります。 会津会は1912年明治45年4月設立された、会津地方出身者及び縁故のある個人構成される団体である。松平総裁、兄の健雄、英夫、恒雄が副総裁就任し松平子爵邸に本部設けた会の目的は同邸での会合会報の発行などを行い会員親睦を図ることであった松平死後は恒雄が総裁就任した戦前主な会員次の通りである。 官界 池上四郎石塚英蔵大久保偵次大島破竹郎小原直加藤祐三郎河原田稼吉神田重雄日下巌(大審院判事)、日下義雄黒河内四郎小山知一小松緑斎藤良衛佐藤正俊辰野宗義高野源進馬場愿治新妻駒五郎西川鉄次郎丹羽七郎林権助平田紀一三淵忠彦森俊六郎村井八郎柳澤健山川建 政界衆議院議員荒木武行石川淳片桐酉次郎柴四朗中野寅吉八田宗吉林平馬廣澤辨二町野武馬丸山芳介渡部鼎 財界 赤羽克己大島清西武鉄道社長)、小野木源次郎加藤寛六郎川井源八三菱電機社長)、小日山直登笹原辰太郎佐藤勇太郎、下坂藤太郎白井新太郎鈴木寅彦中野友禮橋爪捨三郎(鐘紡副社長)、前田二平(山叶商会新光証券前身社長)、松江春次 学界山川健次郎帝大総長)、小西重直新城新蔵帝大教授高嶺俊夫野口尚一工学院大学初代学長)、山川洵、斎藤常三郎深田康算松本信一君島八郎植村恒三郎本名文任学校長相田泰三(本荘高等女学校)、井深梶之助大竹多氣太田法政二高)、加藤利吉(仙台育英)、佐藤義長長岡寛統(六高)、山川黙結城朝恭(名古屋高工) その他 梶原景清梶原平馬山川二葉長男海軍軍医大佐)、春日部たすく新城和一関場不二彦中田章丹羽五郎野口英世蓮沼門三長谷川太一郎花見朔巳平石弁蔵本多修郎松田甲山口喜一町野主水高木盛之輔飯沼貞吉など、 会員大部分男性であったが、看護婦会長務め女性なども加入している。下記稚松会会員概ね双方属していた。戦後総裁から会長制度改め会長には飯沼一省星野喜代治柏村毅(東急専務)、鈴木勝川島廣守就任している。松平勇雄松平一郎名誉会員井深大大平善梧顧問であった。なお前掲松平肖像会報第1号巻頭写真である。

※この「会津会」の解説は、「松平保男」の解説の一部です。
「会津会」を含む「松平保男」の記事については、「松平保男」の概要を参照ください。

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