松田甲
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松田 甲(まつだ こう、1864年8月8日(元治1年7月7日)[1] - 1945年(昭和20年)7月17日[2])は、日本の測量技術者・漢詩人・著述家。主に朝鮮総督府嘱託時代の著作で日本と朝鮮間にあった交流の事績を明らかにした。幼名甲子五郎[3]
- ^ 松田の養女の言による。蝦夷地生まれとする説もあるが、松田自身は『日鮮史話第五編』で「会津に生まれ」と述べている。
- ^ 権は松田の意図からは外れ、「むしろ朝鮮人に歴史観念上の優越意識をもたらせた契機も潜んでいた」とも指摘している。
- ^ a b 権(2008年)、56頁
- ^ 権(2008年)、82頁
- ^ “大竹多気展 大竹家・松田家東の家系”. 山形大学工学部広報室. 2014年7月7日閲覧。
- ^ 権(2008年)、60-61頁
- ^ 権(2008年)、65-67頁
- ^ 権(2008年)、55頁
- ^ 権(2008年)、82頁
- 1 松田甲とは
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