会堂建築の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/10 07:05 UTC 版)
「フランツェーズィシュ・ブーフホルツ福音主義教会」の記事における「会堂建築の変遷」の解説
この教会の新築時は入り口からは身廊が伸び、内陣と3つのアプスを持った形であった。教会堂の建築材料として用いられていたのは、教会周辺の農地において豊富にあった珪長岩であった。その珪長岩は可能な限りの綿密さでもって切り出された角石として用いられていた。正面入り口と小振りな窓の上部は半円アーチのスタイルであった。16世紀終わりにおいて、天井下空間を交差ヴォールト様式に変更した。現在においても、屋根を支える骨組みにおいて13世紀当時の天井下空間の特徴を見ることが出来る。加えて、会堂西側の切妻壁側の上に木造の屋根塔をのせていた。1772年に屋根塔の上に旗の形をした風見をのせた。この教会はバロック様式でまとめられていた。 1705年、会堂内採光改善のため、新たに大きな丸い窓がはめ込まれた。1830年において375人の教会員がいたが、225人分の座席しかなかったため、1852年になって教会はアプスを含んだ翼廊部分を増築した。同時に、当初から使われて来た内陣とアプスは取り壊されている。その面積は教会堂の3分の1に及んだ。取り壊された後に煉瓦で出来た翼廊と新しいアプス部分が建築された。翼廊の両側の側面と西側入り口正面は階段状破風(クロウ・ステップゲーブル)スタイルになり、教会堂は統一された外観を示すようになった。 1881年、南西側にのっていた屋根塔が木材腐朽菌により沈んでしまい、鐘の使用が出来なくなった。鐘が塔から外され、鐘架は教会墓地に置かれた。1883年に屋根塔の修繕をおこなったが効果が無く、1886年にネオ・ゴシック様式の正方形の型の塔が新たに建設された。塔の上には旗状の風見がのせられている。1970年以降、鐘架にはテューリンゲン州アポルダ製の3つの鐘が置かれている。 1949年から1951年まで戦災で破損した個所の復旧工事がおこなわれた。その際、会堂内の一部の支柱が撤去された。それらは1886年の増改築時に取り壊された屋根塔を支えていた支柱でその役割を既に終えていたからであった。
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