仁井田説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
イギリス法派とフランス法派とは仲が悪いと云ふ事がありましたか。 — 穂積重遠 …私の経験ではそれ程の事は感じなかったのです…私の感じた所では、此の争いは一種の勢力争ひである。歴史法派と自然法派の争と云ったやうな高尚の争ひではない。…なぜかといふと、英法派はボアソナードの作った仏法系の法典が嫌ひで――元来法典は嫌ひな所へ持って来て――仏法派に都合の好いやうな旧民法は大嫌ひである。尤も、人事編の方は、日本人が編纂したのですけれども、其の他はボアソナードが編纂した。仏法派は旧民法を盛り立てて行かうと云ふのですから、一種の勢力争いのやうなものであったと、私には感じられます。…法典実施を断行されては英吉利法律学校が無くなって了まふと云ふ騒ぎです。 — 仁井田益太郎 さらに、旧民商法公布前の判検事採用試験は英・仏・独法の選択だったのが、公布後は新法典で統一されたことを指摘。 この仁井田説に対しては、十分な審議を経ず、議会創設も待たず駆け込み的に成立させた政府への村田ら一部政治家の反感が論争を激化させたという側面を無視しており、一面的に過ぎるという批判がある(星野)。 また、仁井田発言を根拠に、法典論争は私立法律学校による「パンの争い」だったという説が形成されているが、当時の私立法律学校の講師はほぼ無報酬だったこと、講師たちのほとんどは弁護士や官僚などとの兼業であり、飯の食い上げにはならなかったこと、官学の穂積兄弟や土方寧らの延期論、江木衷が免職されても刑に処せられても「本望」として法典論争に臨んだことを説明できないと批判されている。
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