人工知能への歴史的影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 07:04 UTC 版)
「モラベックのパラドックス」の記事における「人工知能への歴史的影響」の解説
人工知能研究の初期には、主な研究者らが数十年以内に思考する機械を作りだせると予測していた(人工知能の歴史を参照)。そのような楽観主義が出てきた背景には、論理を使ったプログラム(数学の問題を解くプログラムやチェッカーやチェスをプレイするプログラム)を書いてある程度の成功をおさめていたという事実がある。論理学や代数学は人間にとっては難しいものだったため、それらを駆使できるということは知性の証しだとみなされた。「難しい」問題を解けたのだから、視覚や常識推論(英語版)のような「やさしい」問題もすぐに解決するだろうと考えたのである。しかしそれは大間違いだった。論理学や代数学の問題を解くのは機械にとって非常に容易だった。 ロドニー・ブルックスは、初期のAI研究について、高等教育を受けた男性科学者にとって挑戦に値する事柄(チェス、記号積分、数学定理の証明、代数学の複雑な文章問題を解くことなど)が知能を最も発揮するという考え方があったと説明している。さらに「4、5歳の子どもが簡単にできること、例えば視覚でコーヒーカップと椅子を識別すること、2本の脚で歩き回ること、ベッドルームからリビングまでの経路を見つけることなどは、知能を要する活動とみなされていなかった」と記している。 このことからブルックスは人工知能とロボット工学の研究の新たな方向性を追求することになった。彼は知的機械を作るにあたって、認知能力を持たせようとはせず、単に感覚と行動だけで構築しようとした。すなわち人工知能研究で伝統的に「知能」とされてきたことを完全に除外しようとした。ブルックスはこれを "Nouvelle AI" と呼び、その考え方はその後のAIおよびロボット研究に大きな影響を及ぼした。
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