京都大学時代
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1940年に京都帝国大学農学部の肥料学の助教授に就任した。1947年に教授になり、1949年農学博士になった。「排水が稲作に及ぼす影響に関する研究」。1952年には日本土壌肥料学会会長に就任している。また、1962年には日本学術会議の会員になった。 なお、農学部では、 放射性同位体を利用した植物体内における栄養素の行動の観察 腐食酸、リン酸、ケイ酸の農産物増収への効果 藍藻、光合成細菌など窒素固定微生物の水田における役割 などの研究を行っている。 1961年に農学部長、1963年には京都大学総長となり2期6年を務めた。当時は学園紛争の時期に当たり、国立大学協会会長として各地の紛争解決にも尽力した。 1966年には建国記念日審議会に全回出席し、「人間社会でなく国土に重きをおくべき」との理由により、委員の中で唯一立春を個別意見とした。
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