京葉線開通後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 07:52 UTC 版)
ファンタジア号 JRバス関東 ファンタジア号 東京空港交通 こうして、東京湾岸線にはダブルデッカーが投入され、愛称もファンタジア号と設定されることになった。関係機関への働きかけも行われ、運行開始当初は認可が間に合わなかったためにツーマン運行であったが、1990年5月からは規制緩和によりワンマン運行が認可された。これは、日本では初となるダブルデッカーでのワンマン運行であり、以後夜行高速バスでダブルデッカーが多くの路線に導入される布石となった。 しかし、ダブルデッカー投入直後こそ乗客増により車両の増備も行われたものの、京葉線開業後には本路線の利用者数は大幅に減少した。翌1991年には東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れたが、これ以後は両路線とも積極的な施策は行なわれなかった。 結局、1995年に運行廃止となったが、国鉄バス~JRバスの車両の歴史上では初のハイデッカー車導入、また日本初となるダブルデッカーによるワンマン運行など、日本のバスの歴史において特筆すべき路線であった。なお、路線免許自体はその後も残っており、ドリーム号の東京ディズニーランド乗り入れに活用されている。
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