京畿道の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 03:22 UTC 版)
京畿道は紀元前18年、三国時代から政治的に大変重要な場所だった。三国の一つであった百済の始祖温祚王が河南の慰礼城を首都に定めて以来、5世紀半ば漢江流域は高句麗に併合されたが、553年(真興王14年)新羅の領土となった。その後、三国を統一した統一新羅の全国9州のうち、今の京畿地域はハンサンジュ(漢山州)と称されるようになった。 統一新羅の次の王朝である高麗の太祖王建が開城を首都に定めてからは、京畿地域は歴史の中心舞台として浮上した。1018年(高麗顕宗9年)から当地域を正式に「京畿」と呼ぶようになった。そして朝鮮時代には、太祖李成桂が首都を漢陽に定めた後京畿地域を再調整し、太宗・世宗時代からは広州・水原・驪州・安城を含む東南地域が京畿に移属されるなど、現在の京畿道とほぼ同じ行政区域となった。1895年からは従来の行政区域が改編され新しく二十三府制が実施されることになり、京畿道は漢城府、仁川府、忠州府、公州府、開城府領域に属するようになった。 日本統治時代には1910年10月1日、従来の漢城府が京畿道に編入され京城府に改称されることになり、道庁が設置された。終戦と同時に大韓民国政府が発足し、1946年京畿道から首都ソウル特別市が分離され、京畿道の一部地域がソウル特別市に編入された。1967年には京畿道の道庁所在地がソウル特別市から水原市へと移された。1981年京畿道から仁川市が分離され、1989年と1995年金浦郡の一部、甕津郡、江華郡などの京畿地域が仁川広域市に編入された。
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