二十代 幽光斎宗玄 【1939年-】
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「志野流」の記事における「二十代 幽光斎宗玄 【1939年-】」の解説
室町時代より20代500年に亘り日本の三大伝統文化である香道と茶道を継承してきた志野流現家元。第19世家元の嫡男として幼少期より父宗由の下、戦後の厳しい環境下において研鑽に励み、大学卒業後は歴代家元の倣い臨済宗、岐阜県の正眼僧堂にて修行。妙心寺派管長梶浦逸外老師より斎号「幽光斎」宗名「宗玄」を拝受、昭和62年(1987年)5月志野流20世家元を継承。以後、室町時代より一子相伝の形により香道を一度も途切れる事なく継承してきた唯一の家元として、日本各地の教場、文化センターにおいての教授、各公設機関での講演活動など行い現在も香道の普及発展に努めている。また香道の会員組織、松隠会を再発足させ戦後少数であった香道人口を増やす事に尽力、現在、全国に200ヶ所の教場を構えるまでに至った。文部省(現文部科学省)主催の国民文化祭に昭和61年(1986年)の第1回より本年まで連続34回参加、香席を担当。昭和63年(1988年)、「第1回日中文化交流大会」のため、中国各地寺院にて献香の儀を挙行。平成元年(1989年)、当時の薬師寺管長高田好胤に随行し、インド各地佛跡にて献香の儀を挙行。 同年、フランス政府の招聘により「フランス革命200周年記念行事」としてパリで献香の儀を挙行。平成6年(1994年)、玄奘三蔵1330年忌大般若経奉納の行事として西安興教寺、大慈恩寺、成都文殊院で献香の儀を挙行。平成20年(2008年)、日仏交流150周年記念行事として、パリのプティパレ美術館にて献香の儀を挙行。 海外との文化交流として世界各国での啓蒙活動を盛んに行っている。一方で、後世に香道という世界に唯一無二の香り文化を遺すべくベトナムでの植林活動を家元20代目にして初めて行い、今もその成長を見守りつつ、本物の「香道」を守るため、ユネスコ無形文化遺産登録実現に向けての活動を始めている。平成17年(2005年)には、当時の文化庁長官河合隼雄より「文化庁長官賞」の表彰を受けている。
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