二十代 幽光斎宗玄 【1939年-】とは? わかりやすく解説

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二十代 幽光斎宗玄 【1939年-】

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 02:00 UTC 版)

志野流」の記事における「二十代 幽光斎宗玄 【1939年-】」の解説

室町時代より20代500年に亘り日本三大伝統文化である香道茶道継承してきた志野流家元。第19世家元の嫡男として幼少期より父宗由の下、戦後厳しい環境下において研鑽励み大学卒業後は歴代家元倣い臨済宗岐阜県正眼僧堂にて修行妙心寺派管長梶浦逸外老師より斎号「幽光斎」宗名「宗玄」を拝受昭和62年1987年5月志野流20世家元を継承以後室町時代より一子相伝の形により香道一度途切れる事なく継承してきた唯一の家元として日本各地教場文化センターにおいての教授、各公設機関での講演活動など行い現在も香道普及発展努めている。また香道会員組織隠会を再発足させ戦後少数であった香道人口増やす事に尽力、現在、全国200ヶ所の教場構えるまでに至った文部省(現文部科学省主催国民文化祭昭和61年1986年)の第1回より本年まで連続34参加、香席を担当昭和63年1988年)、「第1回日中文化交流大会」のため、中国各地寺院にて献香の儀を挙行平成元年1989年)、当時薬師寺管長高田好胤随行しインド各地佛跡にて献香の儀を挙行同年フランス政府招聘により「フランス革命200周年記念行事」としてパリで献香の儀を挙行平成6年1994年)、玄奘三蔵1330年大般若経奉納行事として西安興教寺大慈恩寺成都文殊院で献香の儀を挙行平成20年2008年)、日仏交流150周年記念行事として、パリプティパレ美術館にて献香の儀を挙行海外との文化交流として世界各国での啓蒙活動盛んに行っている。一方で後世香道という世界唯一無二香り文化遺すべくベトナムでの植林活動家元20代目にして初め行い、今もその成長見守りつつ、本物の「香道」を守るため、ユネスコ無形文化遺産登録実現向けて活動始めている。平成17年2005年)には、当時文化庁長官河合隼雄より「文化庁長官賞」の表彰受けている。

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