事件が起きた理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 16:13 UTC 版)
土木業者、鳶、博徒、港湾事業者、羽織ゴロ、談合屋、院外団、その他カテゴリーに含まれない奇っ怪な人物たちをも巻き込んで大規模な闘争となったこの事件は清水組と間組の受注競争に関連した代理戦争の面があり、また発注元である東力においても、業界内における電力戦の最中で、工事の発注から事件の勃発まで数ヶ月しかなかったため、和解工作に時間が費やせなかった。 そもそも電力戦の内容は松永安左エ門が東電の縄張りに殴り込み、結果として双方ともに体力を疲弊させ、池田成彬らが仲裁し東電、東力の合併に至る。松永は東電の個人筆頭株主となり、甲州財閥系の影響力は消え、池田成彬の三井銀行は巨額な借入金を外債発行により回収した。あまりに出来すぎな話である。 さらに交渉決裂後には、工事の元請両社とも対決に関する費用の工面を約束していたため、単一の組でも応援を迎えられるだけの資金力を確保できた。 また事件当時の現場一帯は、地元の三谷秀の支配下にあったため、新参にあたる青山組との規模が違いすぎ、博徒としての性格が強かった三谷秀と、鳶としての性格が強かった青山組とでは「異業種」であった点で相互理解がしづらい面があり、仲裁が五分で成立しづらかった。さらに中野ら業界指導者層に三谷秀のような在野勢力の覇権を排除する意図があった上、三谷秀・青山組の両方に何らかの縁がある者が多かったため、仲裁する側も立場の両立を図ることが難しかった。 警察は事前に中止させる強硬手段をとらず、事件発生時には非常線を張るなど迅速であったものの、衝突が起きている間は非常線の守備を主とし、戦闘の前線に向かった者も直接制止は行なわなかった。さらには両陣営の事務所近辺で待機していた警察官の中には関係者に情報を伝えることで事実上手助けを行なっていた者もいた。これは当時の土建業が警察の管轄下にあったため、地元の警察官は日頃から事件の関係者と接触しており、常に何だかの「貸し借り」があったことが伺える。なお2年前の関東大震災において朝鮮人に対する流言が広まった時、雇用者として地元の事情を熟知していた松尾組と三谷秀組の関係者らは共に事態の収拾へ乗りだし、松尾本人など数名が地元住民への説得や保護活動を行なったことを当時の警察関係者が記録として残している。また騒擾事件発生後の一斉取締りにおいて拘束されたものの、すぐ釈放された者の中には大震災時の活動により表彰を受けていた者もいる。
※この「事件が起きた理由」の解説は、「鶴見騒擾事件」の解説の一部です。
「事件が起きた理由」を含む「鶴見騒擾事件」の記事については、「鶴見騒擾事件」の概要を参照ください。
- 事件が起きた理由のページへのリンク