中国での反響などとは? わかりやすく解説

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中国での反響など

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:44 UTC 版)

斗南先生」の記事における「中国での反響など」の解説

斗南『支那分割の運命』中国語翻訳版については、斗南自身により漢訳されたものは翌1913年大正2年1月刊行されたが、それより少し前の1912年大正元年12月15日、すでに中国において北洋法政学界北洋法政専門学堂第一期生を中心に結成された会)から『支那分割運命駁議』と題する、「駁議」(反論)を付け加えた漢訳本がいち早く刊行されていた。 斗南の本は日本中国大陸侵略野心煽るものとして中国人受け取られたようで、在日中国人留学生最初に烈火の如く憤慨し日本人の手による著書『支那分割の運命』存在本国知らせたという。斗南論旨中国大きな反響呼び、「日本狂熱侵略主義者」が論じ中国人批判だとされて、中国共産党系の李大釗などが反論展開した。 それらの猛反発には、明治天皇崇拝する小さな島国の日本人斗南に、共和民国建設した中国人あれこれ言う資格はない、といった言もあり、日本人中国対し同文同種」「唇歯輔車」の国という甘言述べて下心があると受け取られ中国侵略意図秘めた日本人による悪意罵詈雑言とみなす反論もあった。 『斗南先生』の第一章の中で中島敦は、〈そんな売れない本から印税がはいる筈はなかつた〉と書いているが、日本国内において『支那分割の運命』それなりに売れた様子で、一定の読者層からの高い支持受けて初版から1年経たないうちに再版された。斗南弟子だった増井経夫によれば斗南『支那分割の運命』は「当時流行した中国分割論であった秀抜な評論で、名著誉れ高かった」という。 しかしながら斗南著書の後に発行され酒巻一郎の『支那分割論』や、内藤湖南の『支那論』のように長き渡って後世に伝わる本にまではならなかった。斗南その後晩年にいたるまで中国問題関わり数々論説政教社雑誌日本及日本人』に寄稿しつつ、中国大陸にも何度も渡り羅振玉や汪康年らと意見交換などしていた。

※この「中国での反響など」の解説は、「斗南先生」の解説の一部です。
「中国での反響など」を含む「斗南先生」の記事については、「斗南先生」の概要を参照ください。

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