世説新語における曹操
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「三国志演義の成立史」の記事における「世説新語における曹操」の解説
東晋時代に成立した、当時の逸話や噂を集めた『世説新語』でも曹操のずる賢さが強調される。「仮譎篇」には狡知に長けた者が他人を欺く逸話が収められているが、曹操にまつわるエピソードが多い。曹操がのどの渇きを訴える兵士に対し、前方に梅林があると騙して唾を生じさせ、渇きを癒した話なども『平話』で取り入れられ、『演義』にも採用された(第21回)。また『演義』第72回で曹操の「自分の眠っている時に人が近づくと、無意識に斬ってしまうから気をつけよ」という言葉を無視した側近が、寝たふりをしている曹操に布団をかぶせて斬り殺されたという逸話も「仮譎篇」が由来である。 同じく第72回には曹操が普段から憎んでいた小才の利く楊修を処刑した逸話を載せる。きっかけは漢中攻略に失敗した曹操がつぶやいた「鶏肋」という語を楊修が勝手に解釈したことに曹操が激怒したためであるが、それ以前から曹操が楊修を憎んでいた原因として『演義』ではいくつかの逸話を挙げる。部下に作らせた庭園を見た曹操が門に「活」と一字だけ書いて去ったのを楊修が「闊(ひろい)」と看破し「庭が広すぎる」意味だと周囲に解説した件、また酥(乳製品)の瓶が献上された際に曹操が蓋の上に「一合酥」と書いたのを楊修が「一人一口の酥」と解読した件などを曹操が小癪に思ったという。これらはいずれも『世説新語』「捷語篇」に由来する逸話である。このような逸話群により、曹操=小ずるい英雄のイメージが六朝時代に定着しつつあったことが見て取れる。
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