三谷坂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 10:23 UTC 版)
三谷坂(みたにさか)は、和歌山県かつらぎ町三谷の丹生都比売神の降臨地とされる丹生酒殿神社を起点とし、急坂の笠松峠を通り、同神の鎮座地とされる丹生都比売神社を経由し、町石道へ合流する。もしくは丹生都比売神社を経由せずに直接、町石道に合流する参詣道である。高野山へは、慈尊院を起点とする町石道を通るよりも距離が短く、その分短時間での高野参詣が可能である。経路沿道には、空海(弘法大師)の伝承にかかわりある石造物が遺存する。 町石道から丹生都比売神社へ参詣し高野山へ向かう場合、迂回して距離が長くなるが、三谷坂経由の場合は丹生都比売神社へ参拝し高野山へ向かっても迂回が無く町石道より短距離で行けるため、同神社への参詣道ともいわれる。起点の丹生酒殿神社周辺に住んでいた丹生都比売神社惣神主が丹生都比売神社へ往復するために通ったのが起源と伝わる。平安時代の高野山への表参道として整備され、かつて丹生都比売神社の神主や勅使が通る道として、よく利用された。別称として「三谷道」、あるいは丹生酒殿神社と丹生都比売神社を行き来するのに通ることから「天野道」、または1924年(大正13年)に、丹生都比売神社が官幣大社・正一位に昇格を記念する昇格報告祭で、勅使が通ったことから「勅使道」とも呼ばれることがある。平安時代院政期に白河上皇の第四皇子で仁和寺第四代門跡覚法法親王が、高野参詣道として三谷坂を利用したのが記録的には初見であり、高野参詣道の中でも参詣のために利用された歴史的起源を平安時代中期にまでさかのぼって検証できる道である。それ以前から紀の川と天野(丹生都比売神社)を往来する道として利用されていたが、平安時代には高野参詣道として既に開かれており、高野参詣道の中でも最古級であるといえる。高野参詣道として利用した記録として、覚法法親王の『御室御所覚法王親王高野山御参籠日記』があるが、その参籠日記に「三谷坂は木陰にして深き泥なし 道ほど近し かたがた神妙の由 上下よろこびをなす」との記述がある。三谷の丹生酒殿神社と天野の丹生都比売神社とを結ぶ、急坂道の参詣道ではあるが、木陰があり水はけもよく道の状況が良かったことが参籠日記から読み取れる。高野山へは町石道に比べ距離が短く、迂回すること無く丹生都比売神社に参詣でき、木陰があり水はけがよく、道の状態もよいことから、平安時代に高野参詣道としてよく利用されていたことがうかがえる。 三谷坂 三谷坂 起点となる丹生酒殿神社
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