ヴィパッサナー瞑想
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ヴィパッサナー瞑想(ヴィパッサナーめいそう、巴: vipassanā-bhāvanā)は、ナーマ(こころのはたらき、漢訳: 名〔みょう〕)とルーパ(物質、漢訳: 色〔しき〕)を観察することによって、仏教において真理とされる無常・苦・無我を洞察する瞑想(バーヴァナー)である[1]。アメリカでは仏教色を排した実践もあり、インサイトメディテーションとも呼ばれる[2][3]。
注釈
- ^ 毘婆奢那、毘鉢舎那と音訳され、「観」と翻訳されるサンスクリットのヴィパシュヤナー [vipaśyanā] に相当するパーリ語。
- ^ 閑静で僧の修行に適した場所のことを指す阿蘭若(あらんにゃ、サンスクリットの araṇya の音写)は、もとは森林の意であった[9]。
- ^ 四禅と四果を自分で分別することができないにもかかわらず、自分が四禅を得たのを「四果を得たのだ」と推し量って、師を離れて阿蘭若に独処する比丘の増上慢について、道元は十二巻『正法眼蔵』の第十「四禅比丘」で言及している[10]。
- ^ サイトの名称とURLが変わる前の状態はこちら。変わった後の状態はこちらから閲覧できる。いずれもアーカイブサービスによる保存結果。
- ^ ラリー・ローゼンバーグは、タイの瞑想指導者アーチャン・ブッダダーサの弟子である[20]。
出典
- ^ マハーシ・サヤドー 『ヴィパッサナー瞑想』 星飛雄馬訳、サンガ〈サンガ文庫〉、2017年、145頁。
- ^ 岩本 2010, p. 186.
- ^ 佐々木慈瞳「ヴィパッサナー瞑想の実践による自己認知・他者認知と対人関係様式の変容プロセス -ブッダの説く「而二不二」の実践として-」『人間科学研究』第23巻第1号、早稲田大学人間科学学術院、2010年3月、93-93頁、CRID 1050282677478458496、hdl:2065/38298、ISSN 1880-0270。
- ^ ウ・ジョーティカ 2016, p. 1.
- ^ 箕輪顕量 『仏教瞑想論』 春秋社、2008年、23頁。
- ^ a b c d e 岩本 2010, p. 204.
- ^ 別冊サンガジャパン1 2014, pp. 15–16.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 島岩 「ゴエンカとヴィパッサナー瞑想法」『聖者たちのインド』島岩・坂田貞二(編)、春秋社、2000年。
- ^ “阿蘭若(あらんにゃ)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年6月7日閲覧。
- ^ 道元著・水野弥穂子校注 『正法眼蔵』(四) 岩波書店〈岩波文庫〉、1995年4月、340-344頁。
- ^ 山下良道 『青空としてのわたし』 幻冬舎、2014年5月、p.230。
- ^ 水源 『水源禅師法話集 1 (PDF) 』 2009年5月、p.8。
- ^ “佛身山真功寺 HP”. Shinzenho. 2018年3月10日閲覧。
- ^ パオ森林僧院(Wayback Machine、2015年9月28日) - http://paauk.jp/bio_mk.html/[リンク切れ]
- ^ a b c 別冊サンガジャパン1 2014, p. 360-362.
- ^ 別冊サンガジャパン1 2014, p. 374.
- ^ a b 別冊サンガジャパン1 2014, p. 332.
- ^ パオ森林僧院(archive.today、2015年9月27日) - http://paauk.jp/bio_mk.html/[リンク切れ]
- ^ “GBTalk 46 「いま、原始仏教を生きる。」20180106 - YouTube”. 2018年2月22日閲覧。
- ^ 別冊サンガジャパン1 2014, p. 143.
- 1 ヴィパッサナー瞑想とは
- 2 ヴィパッサナー瞑想の概要
- 3 方法
- 4 関連文献
- 5 脚注
ヴィパッサナー
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ヴィパッサナー瞑想の文脈において般若は、すべての物事の本質的な3つの特徴(三相)、すなわち無常)、 苦、 無我)を理解する能力として記されている。ブッダゴーサは、般若の役割を「個々の状態の本質」を理解することで、「無明の闇から脱出する」ことであると述べている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}Sabbe saṅkhārā aniccā'ti yadā paññāya passatiAtha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā.Sabbe saṅkhārā dukkhā'ti yadā paññāya passatiAtha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā.Sabbe dhammā anattā'ti yadā paññāya passatiAtha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyā. 「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と 智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。「一切の形成されたものは苦である」(一切皆空)と 智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。「一切の事物は無我である」(諸法非我)と 智慧をもって観るときに、ひとは苦から厭い離れる。これが清浄への道である。 —ダンマパダ, パーリ仏典, 20Maggavaggo, Sri Lanka Tripitaka Project
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