ローマ側の妥結案
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マリウスは敵に向け陣を張り、マルシ軍のポッパエディウスもそれに習った。彼らが前進して向かい合うと、敵意が好意に変わった。兵たちはお互いの中に、個人的な友人や戦友、そして親戚を認めたのである。彼らはお互いの名を呼び合い、殺し合わないように呼びかけ、陣羽織を脱いで腕を伸ばし、抱擁した。マリウスとポッパエディウスも軍から進み出て、市民権について話し合いを始めた。兵たちはその間、まるでお祭りのように喜んで待っていた。 シケリアのディオドロス『歴史叢書(英語版)』37.15 紀元前90年の冬、ローマでは執政官ルキウス・ユリウス・カエサルが提案した、反乱に参加しなかった同盟市とラテン人にローマ市民権を与えるユリウス法(Lex Iulia de civitate latinis et sociis danda)が可決された。市民権を得たエトルリア人やウンブリアの新市民は現35トリブス(選挙区)ではなく、その後に投票する10の新設トリブスに登録されたという。 翌紀元前89年、護民官マルクス・プラウティウス・シルウァヌスとガイウス・パピリウス・カルボは、60日以内にプラエトルに申請した同盟市の人間に市民権を与えるプラウティウス・パピリウス法(Lex Plautia Papiria de civitate sociis danda)を通過させ、執政官グナエウス・ポンペイウス・ストラボはトランスパダニ(ポー川以北の人々)にラテン市民権を与えるポンペイウス法(Lex Pompeia de transpadanis)を成立させた。このような妥協案によって、紀元前88年にはサムニウムやルカニア人を除いて降伏した。
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