ロイヤル・バカラ・スキャンダル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 03:30 UTC 版)
「エドワード7世 (イギリス王)」の記事における「ロイヤル・バカラ・スキャンダル」の解説
詳細は「ロイヤル・バカラ・スキャンダル(英語版)」を参照 1890年9月、バーティは船主アーサー・ウィルソン(英語版)が所有するヨークシャーの邸宅トランビー・クロフト(英語版)で過ごした。夕食後に招待客はバカラをして楽しんだが、この席上で第4代准男爵サー・ウィリアム・ゴードン=カミング(英語版)がイカサマをしたと批判され、二度とゲームをしないという誓約書をバーティ含む9人の招待客の署名付きで書かされた。この件は秘匿するはずだったが、1891年初頭にはバーティの愛人デイジー・ブルック(英語版)を通じて世間に洩れたため、カミングはバーティら誓約書を書かせた者たちを相手取って民事訴訟を起こした。この件でバーティは再び法廷に立つ羽目となった。 ヴィクトリア女王は訴訟を起こしたカミングに対して怒っており、息子バーティを擁護したがっていたが、保守党政権の首相第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルに介入を止められた。それでも女王はバーティにカンタベリー大主教宛てに賭博を嘆き咎める公開書状を送らせ、少しでもイメージ改善に努めさせた。 裁判は皇太子が有利になるよう進められたが、陪審の評決の際には批判の声で轟々となった。新聞も国内外問わず大半がカミングの味方でバーティは再び非難の的となった。またバーティは陸軍元帥であったにも関わらず、「士官の行状が問題になった際には部隊長に付される」という陸軍の常識を主張しなかったことも問題視された。アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙は「イギリス王族はイギリス納税者のお荷物であり、それに相当する見返りは何もない」とイギリス王室批判を行った。『タイムズ』紙は「二度とゲームをやらないという署名をしたのが皇太子だったら良かったが」と愚痴った。
※この「ロイヤル・バカラ・スキャンダル」の解説は、「エドワード7世 (イギリス王)」の解説の一部です。
「ロイヤル・バカラ・スキャンダル」を含む「エドワード7世 (イギリス王)」の記事については、「エドワード7世 (イギリス王)」の概要を参照ください。
- ロイヤル・バカラ・スキャンダルのページへのリンク