ランデブーの歴史とは? わかりやすく解説

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ランデブーの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 21:22 UTC 版)

ランデブー (宇宙開発)」の記事における「ランデブーの歴史」の解説

1962年8月12日ソビエト連邦宇宙船ボストーク3号4号同時に飛行し互いにkmの距離まで接近したが、当時ボストークにはまだ軌道変更操作行えるほどの性能はなかったため、ランデブー行われなかった。その後1963年6月16日にも、同様のことが5号6号の間で行われた。これについて1990年発行されロシア定期刊行物G. サラフトディノーフ (G.Salakhutdinov)」には、初代主任設計技師ワシリー・ミシンの次の言葉掲載された。 共同飛行が行われたのは、発射から1日後、1機目がバイコヌール宇宙基地の上空にさしかかった時のことであった。もしこの時、2機目をきわめて正確なタイミング打ち上げれば、両機は宇宙空間互いに接近することができる。だからそれが行われたのである。(中略)両機は5kmまで接近した!当然ながらその後、我々は厳重な秘密主義の下で真実語ったりすることはなかった。真相知らない西側専門家は、ボストーク宇宙船がすでに軌道変更するほどの性能備えていると考えた。もちろんそんなもの幻想過ぎず、我々の競争相手勝手に独り合点していただけだったのだが、当然のことながら我々が自分から真実を語ることなどはあり得なかった。 史上初のランデブーが行われたのは1965年12月15日のことで、アメリカ宇宙船ジェミニ6-A号が、軌道変更操作行いジェミニ7号と30cmの距離まで接近した操縦者ウォーリー・シラー飛行士であった。ただこの時はまだドッキング装置装備されていなかったので、両機が物理的に接触することはなかった。この時のことについて、シラーは以下のように語っている。 私はランデブーというのは、二つ宇宙船がおよそ120フィート (37m) 以内接近し、完全に停止すると見える)までは成功したとは言えないと思っていた。そして、我々はついにそれを実現したのだ!今や両者編隊保ったまま、車や飛行機操ったり、あるいはスケートで滑るようにして近づいたり離れたりすることができる。それは簡単な操作だった。 初のドッキング成功したのは1966年3月16日発射されジェミニ8号で、ニール・アームストロング飛行士操縦より目衛星アジェナ8号機体接合させた。 一方ソ連は、1967年10月30日無人コスモス186号188号によって自動操縦によるドッキング成功した異なる国の宇宙船初めドッキングしたのは1975年7月17日のことで、アポロ・ソユーズテスト計画においてアメリカアポロ18号ソ連ソユーズ19号ドッキングし飛行士相互宇宙船訪問した初めて3機の宇宙船ドッキング果たしたのは1978年1月のことで、ソ連宇宙ステーションサリュート6号ソユーズ26号27号が結合した

※この「ランデブーの歴史」の解説は、「ランデブー (宇宙開発)」の解説の一部です。
「ランデブーの歴史」を含む「ランデブー (宇宙開発)」の記事については、「ランデブー (宇宙開発)」の概要を参照ください。

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