ライシテと公教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 21:14 UTC 版)
今日のフランス公教育はコンドルセ (1743 - 1794) とジュール・フェリー (1832 - 1893) の教育改革に負うところが大きい。フランス公教育の原型となった『公教育の一般的組織化に関するデクレ案』を作成したコンドルセは教育の自由について、まず、親の教育権の保障を挙げ、子に対する教育権は親の自然権の一つであり、国家などの公権力は親の自然権の保障を義務づけられているからこそ、公教育に責任を負うべきであるとした。また、具体的な教育内容については、教義によって知性がゆがめられることのないよう、すべての個人に歴史的・科学的根拠に基づく真理・真実を主たる内容とした教育 ― 知育 ― を提供することの重要性を解いた。さらに、教会の教育への介入の弊害を避けるために、宗教・思想・信条の自由を不可欠の人権として保障した。 1880年代の第三共和政前半期にジュール・フェリーが行った教育改革は、フランス公教育の方向性に大きな影響を与えることになった。何よりも重要なのは、国民の精神的統合を「自由・平等・友愛」を掲げる「一にして不可分の共和国」のシンボルとして実現するために教会勢力を公教育から駆逐したことであった。フェリーの教育改革では、1789年の人権宣言における自由、平等などの共和国の理念や権利を保障すると同時に、教育の無償制、義務制、そして非宗教性(ライシテ)を保障した。 1905年の政教分離法(ライシテ法)により確立した「ライックな共和国」という理念は、1946年憲法で明確に規定され、1958年憲法に受け継がれた。公立学校は今日、ライシテの精神を養う場であると同時に、共和国の理念に関する様々な批判の対象にもなった。公立学校におけるライシテの理念は、公的な場において「共に生きる」ことを目指すものであり、憲法に定める思想・良心の自由を保障するために、公的な場における宗教の表明は制限される。当初、この制限は必ずしも一定の基準に基づくものではなく、校則などにより違いがあったが、国民の人権と自由の保護を目的に設立された「権利擁護機関 (Defenseur des Droits)」のドミニク・ボーディ(フランス語版)代表が2013年に政府に対して制限の明確化を要求し、これを受けて、国務院が明確な規定を設けた調査報告書を発表した。「ライシテ監視機構(フランス語版)」が2014-2015年次報告書にこの一部を採用している。 フランス国家は、信仰・信条にかかわらず、全市民に対して無償かつライックな公教育を保障している。第五共和国の「憲法ブロック」(合憲性規範)の一部を構成する1946年憲法の前文第13段には「国民国家は子供及び大人の教育、文化、職業教育の平等な機会を保障する。無償かつライックな全公教育機関・過程を提供することは国家の義務である」と規定されている。
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