ミュージシャン・パーソナリティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 19:11 UTC 版)
「吉田拓郎」の記事における「ミュージシャン・パーソナリティ」の解説
1971年10月にパックインミュージックのパーソナリティに就任したのを皮切りに、担当した多くのラジオ番組と合わせ深夜放送のミュージシャン・パーソナリティのスタイルを確立した。深夜放送のDJを"パーソナリティと"いう呼び方に変え始めたこの頃から、各局はこぞってフォークシンガーを起用。これは巨大メディア化するテレビに対して、若者のパーソナル・メディアとしての存在に生き残りをかけていたラジオと、この後テレビを出演拒否する拓郎をはじめとするフォークシンガー達が、ステータスを維持するための利害関係が一致した結果であった。それは商業的にも大きな可能性を秘めた市場の開拓であった。亀渕昭信は「深夜放送ブームと並行しまして、ちょうどフォークソングも全盛期を迎えました。吉田拓郎さん、南こうせつさん、さだまさしさん、松山千春さんといった、非常にしゃべりのうまい方をラジオのパーソナリティに起用したんですね。深夜放送ブームが去ってからも彼らの力によってラジオ番組は生き延びていったと言えるでしょう」と述べている。また、「中島みゆきさんにしろ、吉田拓郎さんにしろ、自分の内面や生き方を、ちゃんと番組の中で晒していたから、パーソナリティーとリスナーの距離が近くて濃密な関係を築けた。生き方を晒していたことが、曲づくりにもつながって、ファンもそれを支持していた。キャラクターが強く、人間性が出ていたから、長い間アーティストとしての影響力を保てた」などと評している。赤坂泰彦は「中学校の頃に、吉田拓郎さん、泉谷しげるさん、谷村新司さんなど、フォークの方々がラジオでレギュラー番組を持っていたんです。なので、世代的にラジオとフォークソングというのがリンクしていますね。喋りの面白い方たちというイメージがありました(笑)」などと話している。
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