マリア=テレジアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 后妃 > 神聖ローマ皇后 > マリア=テレジアの意味・解説 

マリア・テレジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/09 15:34 UTC 版)

マリア・テレジアドイツ語:Maria Theresia, 1717年5月13日 - 1780年11月29日)は、オーストリア女大公(在位:1740年 - 1780年)・ハンガリー女王(在位:同)・ボヘミア女王(在位:1740年 - 1741年 1743年 - 1780年)。実質的な「女帝」(下記参照)として君臨した。実際の称号は皇帝ではなく、「神聖ローマ皇后」だった。神聖ローマ皇帝 カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の皇帝フランツ1世の皇后・共同統治者。


注釈

  1. ^ ただし、フリードリヒはプロテスタント信徒であり、オーストリアとは宗教的に相容れない。
  2. ^ 同地はもともとドイツ語文化圏に属した。フランツの曾祖父の時代からロレーヌ公国はたびたびフランスに占領されており、以後もフランスとドイツの係争地となる(詳細はアルザス=ロレーヌを参照)。
  3. ^ フリードリヒ2世には女性蔑視の傾向があった。詳細は本人の項を参照。
  4. ^ 親仏のプファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドール、プロイセン王フリードリヒ2世(兼ブランデンブルク選帝侯)が棄権した。

出典

  1. ^ 江村 2013, p.126.
  2. ^ グレーシング 1999, p.152.
  3. ^ グレーシング 1999, p.153.
  4. ^ 江村 2013, p.20.
  5. ^ 倉田 1994, p. 32.
  6. ^ 江村 2013, p.21.
  7. ^ グレーシング 1999, p.158-159.
  8. ^ 江村 2013, p.21-23.
  9. ^ 江村 2013, p.23.
  10. ^ 江村 2013, p.29.
  11. ^ 江村 2013, p.25-27.
  12. ^ 江村 2013, p.28.
  13. ^ a b 江村 2013, p.18.
  14. ^ 江村 2013, p.17.
  15. ^ 江村 2013, p.32-33.
  16. ^ 江村 2013, p.34-35.
  17. ^ 江村 2013, p.42.
  18. ^ a b 岩崎 2017, p.213.
  19. ^ 江村 2013, p.45-46.
  20. ^ 江村 2013, p.51.
  21. ^ 岩崎 2017, p.214.
  22. ^ 江村 2013, p.75.
  23. ^ 江村 2013, p.76-76.
  24. ^ 岩崎 2017, p.216.
  25. ^ 江村 2013, p.76.
  26. ^ 江村 2013, p.91-92.
  27. ^ 江村 2013, p.92.
  28. ^ 江村 2013, p.112.
  29. ^ 江村 2013, p.77.
  30. ^ 江村 2013, p.122.
  31. ^ 江村 2013, p.58-59.
  32. ^ 江村 2013, p.108-109.
  33. ^ 江村 2013, p.113.
  34. ^ 江村 2013, p.216-220.
  35. ^ 江村 2013, 第2部第3章
  36. ^ 江村 2013, 第2部第4章
  37. ^ 江村 2013, p.170-175.
  38. ^ 江村 2013, p.174-175.
  39. ^ 江村 2013, p.179-183.
  40. ^ 江村 2013, p.184.
  41. ^ 中野京子『名画で読み解く ロマノフ家12の物語』光文社、2014年、99頁。ISBN 978-4-334-03811-3 
  42. ^ 江村 2013, p.187.
  43. ^ 江村 2013, p.203.
  44. ^ 江村 2013, p.204.
  45. ^ 江村 2013, p.221.
  46. ^ 江村 2013, p.244-247.
  47. ^ 江村 2013, p.246.
  48. ^ 江村 2013, p.321.
  49. ^ 江村 2013, p.320.
  50. ^ 江村 2013, p.278-279.
  51. ^ 江村 2013, p.295.
  52. ^ 江村 2013, p.315-318.
  53. ^ 江村 2013, 第4部第6章
  54. ^ 江村 2013, p.365.
  55. ^ 江村 2013, p.235.
  56. ^ 江村 2013, p.222-223.
  57. ^ 江村 2013, p.291.
  58. ^ 小林登志子『文明の誕生 メソポタミア、ローマ、そして日本へ』中央公論新社、2015年、234頁。ISBN 978-4-12-102323-0 
  59. ^ 江村 2013, p.272.
  60. ^ 江村 2013, p.186.
  61. ^ 江村 2013, p.247-248.
  62. ^ グレーシング 1999, p.159.
  63. ^ 6つのピアノ変奏曲 ト長調 K.180 (K6.173c)


「マリア・テレジア」の続きの解説一覧

マリア・テレジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 02:41 UTC 版)

ハプスブルクの宝剣」の記事における「マリア・テレジア」の解説

神聖ローマ皇帝カール6世娘。

※この「マリア・テレジア」の解説は、「ハプスブルクの宝剣」の解説の一部です。
「マリア・テレジア」を含む「ハプスブルクの宝剣」の記事については、「ハプスブルクの宝剣」の概要を参照ください。


マリア・テレジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:28 UTC 版)

エロイカより愛をこめて」の記事における「マリア・テレジア」の解説

皇帝円舞曲」編に登場本名エリザベート・シュトルツ。オーストリア・ウィーン潜伏するKGB女スパイただ一度指令待ち30年以上にわたっておっとりとした美術商夫人演じ続けたスリーパー・エージェント老獪立ち回り伯爵少佐CIA三者手玉に取って自らの任務遂行した最終的に失敗するものの成否問わず生涯ただ一度覚醒であるため、その後シュトルツ夫人としてCIAエージェントである夫カール人生共にするのだった

※この「マリア・テレジア」の解説は、「エロイカより愛をこめて」の解説の一部です。
「マリア・テレジア」を含む「エロイカより愛をこめて」の記事については、「エロイカより愛をこめて」の概要を参照ください。


マリア・テレジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 19:50 UTC 版)

国王」の記事における「マリア・テレジア」の解説

オーストリア大公在位1740年 - 1780年)、ハンガリー女王ボヘミア女王

※この「マリア・テレジア」の解説は、「国王」の解説の一部です。
「マリア・テレジア」を含む「国王」の記事については、「国王」の概要を参照ください。


マリア・テレジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:12 UTC 版)

ベルサイユのばら」の記事における「マリア・テレジア」の解説

アントワネットの母。オーストリア女帝フランスとの戦争終結のために末娘アントワネットフランス王太子妃として送り出すが、彼女の性情を熟知していたので取り返しつかない過ち犯したのではと別れ際まで内心迷い捨てきれなかった。アントワネット未来を案じており、彼女が次第贅沢三昧日々を送るようになった挙げ句小トリアノン宮取り巻きだけを連れて閉じこもったことを知ったショックで病に倒れ長男ヨーゼフ皇帝臣下見守る中で亡くなった

※この「マリア・テレジア」の解説は、「ベルサイユのばら」の解説の一部です。
「マリア・テレジア」を含む「ベルサイユのばら」の記事については、「ベルサイユのばら」の概要を参照ください。


マリア・テレジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:12 UTC 版)

ベルサイユのばら」の記事における「マリア・テレジア」の解説

エピソード6登場オーストリア女帝アントワネットの母。15歳皇女時代描かれ周辺諸国野心標的にされる。幼い頃からフランツ恋しており、当時王侯貴族としては奇跡に近い恋愛結婚結ばれることになる。当初婚約者とされたクレメンスは健康で利発美し王子評判だったが、年が離れていてフランツ恋心抱いていたこともあり彼のクレメンスとの結婚望んではいなかった。1994年同筆者が描いたエカテリーナ2世からは恵まれた恋愛王位継承子宝などで嫉妬に近い感情抱かれていた。父カール6世死後勃発したオーストリア継承戦争一歩譲歩することなくプロイセン断固戦う決意固めており、オーストリア軍脆弱さを知るフランツ条件次第では和睦考え交渉の場で少しでも譲歩しそうになる介入した

※この「マリア・テレジア」の解説は、「ベルサイユのばら」の解説の一部です。
「マリア・テレジア」を含む「ベルサイユのばら」の記事については、「ベルサイユのばら」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「マリア=テレジア」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



マリア=テレジアと同じ種類の言葉


固有名詞の分類

神聖ローマ皇后 マリア・デ・アブスブルゴ  コンスタンサ・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ  マリア・テレジア  クニグンデ・フォン・ルクセンブルク  アンナ・ヤギエロ
ハンガリーの国王 イムレ1世  アンドラーシュ2世  マリア・テレジア  ベーラ2世  ウラースロー2世
パルマ公 ラヌッチョ1世  フランチェスコ・ファルネーゼ  フェルディナンド・ディ・ボルボーネ  マリア・テレジア  アントニオ・ファルネーゼ
トスカーナ大公妃 エレオノーラ・ディ・トレド  ルイーザ・マリア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ  マリア・テレジア  ビアンカ・カッペッロ  マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエン
ボヘミア国王 イジー・ス・ポジェブラト  ヨハン・フォン・ルクセンブルク  ヴラチスラフ2世  マリア・テレジア  ウラースロー2世
ロレーヌ公妃 クロード・ド・ヴァロワ  クリスティーヌ・ド・ダヌマルク  エリザベート・シャルロット・ドルレアン  カタジナ・オパリンスカ  マリア・テレジア
オーストリア・ハプスブルク家 エリザベート・ドートリッシュ  バルバラ・ダウストリア  マリア・テレジア  コンスタンツェ・フォン・エスターライヒ  ツェツィーリア・レナータ・フォン・エスターライヒ
オーストリア大公 マーチャーシュ1世  ジギスムント・フランツ・フォン・エスターライヒ  マクシミリアン3世・フォン・エスターライヒ  フェルディナント・カール・フォン・エスターライヒ=ティロル  マリア・テレジア

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マリア=テレジア」の関連用語

マリア=テレジアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マリア=テレジアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマリア・テレジア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのハプスブルクの宝剣 (改訂履歴)、エロイカより愛をこめて (改訂履歴)、国王 (改訂履歴)、ベルサイユのばら (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS