ベルティノッティ主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 07:50 UTC 版)
「共産主義再建党」の記事における「ベルティノッティ主義」の解説
1998年、左翼民主党は左翼民主主義者(DS)として更に穏健化を進め、中道色の強い第1次プロディ政権を巡って再び党内対立が起きた。ベルティノッティ書記長は閣外協力の中止を主張し、コッスタ党議長は左派政権の維持を求めた。再建党の中央委員会が閣外協力中止を議決すると、コッスタは自身の党を離れてイタリア共産主義者党(PdCI)を結党した。コッスタとPdCIは連立支持を続けたものの、議会過半数を失ったプロティ政権は内閣不信任案により退陣した。ベルティノッティと再建党も目的は達成したが、相当数の議員が離脱した事で党勢が大きく後退した。 2001年、同年の総選挙は「共産主義再建」の主導権を巡る争いとなり、再建党は以前よりも退潮したとはいえ5%の得票を集め、共産主義者党は「オリーブの木」に加盟しながら1.7%に留まった。議席数は下院11議席・上院5議席に減少したが旧支持層の大部分が離反しなかった意義は大きく、「イタリア最大の共産主義団体」という立場を確立した。教条的な共産主義者が再建党から去り、代わって党指導部を掌握したベルティノッティ派によって様々な急進的な社会運動が取り込まれ、またイタリアにおける反グローバリズム運動を再建党が主導した。 2004年、欧州左翼党の結成に参加し、並行して「オリーブの木」と関係改善が行われて左翼民主主義者との協力関係が回復した。同年の党大会ではベルティノッティ派(59.2%)、共産主義派(26.2%)、トロツキスト派(14.6%)に支持者が三分された。2005年、同性愛者である事を公表しているベルティノッティ派のニチ・ベンドラ(英語版)下院議員がプーリア州の知事選に再建党から擁立され、保守的とされる同州で知事当選を果たした。 2006年、再建党は「オリーブの木」を発展的に解消した選挙連合「ルニオーネ」に加入して総選挙を戦い、下院41議席・上院27議席と過去最大の議席数に躍進した。「ルニオーネ」も右派連合に勝利して第2次プロティ政権が成立、今回は再建党も正式に与党入りしてパオロ・フェレーロ(英語版)下院議員が社会連帯政策担当大臣(イタリア語版)として入閣した。他にベルティノッティが下院議長に選出され、党派中立の原則に従って書記長職を退いた事からフランコ・ジョルダーノ(英語版)下院議員が第3代書記長に就任した。
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