ベニグノ・アキノ3世政権(2010年-2016年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:54 UTC 版)
「フィリピンの歴史 (1986年-現在)」の記事における「ベニグノ・アキノ3世政権(2010年-2016年)」の解説
詳細は「ベニグノ・アキノ3世の大統領時代(英語版)」を参照 2010年6月9日、ケソン市のバタサンパンバンサ合同庁舎(英語版)でマカティの元市長ジェジョマール・ビナイが副大統領になるために自由党の旗頭マル・ロハス副大統領の為に次点を破って1464万5574票を得てフィリピンの次期副大統領と宣言された一方で、フィリピンの国会はアキノを1520万8678票を得た2010年の選挙(英語版)に続いてフィリピンの次期大統領と宣言した。 アキノが2010年フィリピン大統領選挙(英語版)で当選すると大統領交代(英語版)が始まった。交代は退任する政権との間で新しい大統領官邸や内閣の任命、誠心誠意の会合を扱った。 2010年5月11日、退任するグロリア・アロヨ大統領は、大統領交代協同班を創設する行政命令に署名した。アロヨは退任するレアンドロ・メンドーサ(英語版)行政大臣(英語版)に交代班を率いるよう命令した。交代班は「6月30日に平和的で整然とした(効率的な)交代を確実にするために」創設された。2010年6月9日、交代班はアキノ交代班と非公式な会合を開始した。 2010年6月16日、アキノは退任するエレナ・バウティスタホルン大統領管理職員(英語版)担当相への手紙の中で交代班を創設した。アキノはマル・ロハス(英語版)副大統領や後任のパキト・オチョア・ジュニア(英語版)行政大臣(英語版)、フロレンシオ・アバド(英語版)元教育大臣(英語版)、セサル・プリシマ(英語版)元金融大臣(英語版)、フロレンシオ・アバドの娘ジュリア・アバド、アキノの部員代表の為に次点を破った交代班の顔ぶれを任命した。 アキノの大統領官邸は、マラカニアン宮殿からパシッグ川を渡った大統領保安団(英語版)司令部のマラカニアン公園内にあるバハイパンガラップ(日本語:夢の家)である。アキノはバハイパンガラップを公式官邸とした最初の大統領である。アキノは二つの官邸は大き過ぎると言い、近所にとって保安上の憂慮であるために、ケソン市のタイムズ通りの小さな家は非現実的であるとも言い、フィリピンの大統領の官邸マラカニアン宮殿やコラソン・アキノ元大統領やフィデル・ラモス元大統領の官邸アルレギマンションで暮らすことを拒否した。 アキノは長年の友人パキト・オチョア・ジュニア(英語版)を行政大臣(英語版)に任命した。アキノはディンキー・ソリマン(英語版)を嘗てアロヨ政権下で任命されたが後に2005年に辞任した地位である社会保障及び開発大臣(英語版)に任命した。2010年6月22日、レイラ・デ・リマ(英語版)が入閣の要請を受け入れ、後に2010年7月2日に法務省(英語版)の指揮を執った。2010年7月15日、ジェジョマール・ビナイ副大統領がHUDCC議長に任命された。2010年6月24日、ラ・サール大学(英語版)学長ラ・サール会アルミン・ルイストロ(英語版)修道士が学校の出資者と会った後で教育大臣(英語版)の地位を受け入れた。2010年6月27日、アキノは現職のアルベルト・ロムロ(英語版)外務大臣(英語版)を再任した。 2010年6月29日、アキノはアキノ自身を内務・自治大臣(英語版)に任命するとともに内閣の閣僚を正式に明らかにした。アキノは退任するグロリア・アロヨ大統領に対する汚職容疑などの様々な問題を捜査する真実和解委員会の構成も明らかにした。アキノは真実和解委員会を代表するイラリオ・ダビデ・ジュニア(英語版)元法務長官(英語版)を任命した。 ベニグノ・アキノ3世大統領とジェジョマール・ビナイ副大統領の就任式は、2010年6月30日にマニラリザル公園(英語版)のキリノ正面特別観覧席(英語版)で行われた。就任宣誓は正式に就任を誓約するアキノの要請を受け入れた1986年にクラウディオ・ティーハンキー(英語版)副判事により大統領就任を宣誓した母親の決定を忍ばせるコンチータ・カルピオモラレス(英語版)フィリピン最高裁判所副判事(英語版)により執り行われた。アキノは野党が退任するグローリア・アロヨによりレナト・コロナ(英語版)の任命が行われたためにコロナフィリピン裁判所長官(英語版)が就任宣誓を行うことを拒否した。アキノはアメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領やイギリスのエリザベス2世、オーストラリア政府から祝福を受けた。 2013年、政府は新人民軍との発展する可能性のある平和会談に向けた新しい枠組みを練っていると発表した。 2015年、マギンダナオ州ママサパノで起きた衝突(英語版)で行き詰まりに至ったバンサモロ基本法(英語版)を可決する取り組みにつなげながらフィリピン国家警察(英語版)特別活動隊(英語版)の44人が死亡した。
※この「ベニグノ・アキノ3世政権(2010年-2016年)」の解説は、「フィリピンの歴史 (1986年-現在)」の解説の一部です。
「ベニグノ・アキノ3世政権(2010年-2016年)」を含む「フィリピンの歴史 (1986年-現在)」の記事については、「フィリピンの歴史 (1986年-現在)」の概要を参照ください。
- ベニグノ・アキノ3世政権のページへのリンク