ヘドロ処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 01:09 UTC 版)
「田子の浦港ヘドロ公害」の記事における「ヘドロ処理」の解説
国による公共用水域の水質の保全に関する法律や工場排水等の規制に関する法律公布の後、排水基準を定める省令・水質汚濁防止法が公布されると規制はより厳しくなり、工場や事業所のすべてに水質基準が適応されることとなった。しかし既に発生しているヘドロ処理については課題も多かった。当初はヘドロ処理は外洋投棄が予定されていたが、議論を経て河川敷への投棄へと方針が変わった。ヘドロの投棄処理を進めるため、1970年(昭和45年)に地元民と協議の場を設けたが、猛烈な反対により15分で終えることとなった。これは1971年(昭和46年)も同様であったが、同年中に協力を取り付け、地元民は河川敷放流に賛成した。ヘドロには硫化水素や次亜塩素酸ナトリウムが含まれるが、これらによる二次災害は出さないということを繰り返し説明する中でのことであった。しかし同年10月時点で、未だ田子の浦港には120~130万トンのヘドロの堆積が推定されており、まだ処理の完了には程遠い状況であった。これらの処理のためには広大な敷地と処理物の転用が必要であり、市は処理物を埋め立て、そこを緑地帯や道路として利用する方針を立てた。市は地元住民から覚書を取り付け、処理を進めた。1974年(昭和49年)には87万5000トンの浚渫を終えたが、1975年の調査では約513,000m3のヘドロの堆積が未だ推定されるという状況であった。これらも順次浚渫作業が進められ、1981年(昭和56年)に浚渫作業を完了させた(「田子の浦港堆積汚泥浚渫事業」)。1970年から数えて11年という長い歳月と、68億円(県・市等)という巨額を費やしてのことであった。
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