プロジェクトの詳細
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 08:29 UTC 版)
1943年3月までに適切な種が選択された。このプロジェクトには、ナパーム弾の発明者であるルイス・フィーザーがコウモリに運ばせる17グラムと28グラムの焼夷弾の設計を行い、40匹のコウモリトレイを26段積みにする爆弾の外装に似たコウモリ爆弾用コンテナが設計された。アラスカ州から発進したB-24爆撃機10機は、大阪湾の工業地帯に100個のコンテナを投下し、104万匹のコウモリ爆弾を発火させられると考えられていた。 さまざまな運用上の問題に答える一連のテストが実施された。そんな中、1943年5月15日には実験中に逃げ出した武装したコウモリが、ニューメキシコ州のカールズバッド近郊のカールズバッド補助飛行場空軍基地の施設を炎上させる事故が発生した。 この挫折後、プロジェクトは1943年8月にアメリカ海軍に任命されてProject X-Rayと改名され、12月にアメリカ海兵隊に譲渡された。海兵隊は、日本家屋のモックアップ日本村でテストを行い、上々の結果を確認した。これらのオブザーバーも、好意的な意見を残している。 より多くのテストが1944年の夏に予定されていたが、1945年中頃まで戦闘準備が整っていない可能性があると聞き、アーネスト・キング海軍元帥はこのプログラムをキャンセルした。戦闘準備が整うまで、200万ドルがプロジェクトに費やされると推定された。コウモリ爆弾の開発はあまりにも開発が遅いと考えられ、原子爆弾プロジェクト(マンハッタン計画)との開発レースで追い抜かれた。 その後、悪名高い「コウモリによる侵略」プロジェクトは、ウィリアム・ドノバン将軍がこの計画を「Die Fledermaus Farce」(こうもり喜劇場)とみなすよう命令された戦略諜報局の調査開発ディレクターのスタンレー・ロベル (Stanley P. Lovell) 博士によって紹介された。ロベルはまた、試験中にコウモリが石のように地面に落ちていたことも述べている。
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