フォークランド沖海戦
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フォークランド沖海戦(フォークランドおきかいせん、英: Battle of the Falkland Islands, 独: Seegefecht bei den Falklandinseln)は、第一次世界大戦中にアルゼンチン近くの英領フォークランド諸島沖において、イギリス海軍とドイツ帝国海軍とが衝突した海戦。ダブトン・スターディー提督率いるイギリス艦隊が圧倒的な火力をもって終始優位に立ち、最終的にマクシミリアン・フォン・シュペー提督の指揮するドイツ東洋艦隊を撃破した[1]。
- 1 フォークランド沖海戦とは
- 2 フォークランド沖海戦の概要
- 3 脚注
フォークランド沖海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:50 UTC 版)
「ニュルンベルク (軽巡洋艦・初代)」の記事における「フォークランド沖海戦」の解説
ドイツの勝利に終わったコロネル沖海戦後、シュペーはバルパライソを訪れ、それから11月5日から11月15日までファン・フェルナンデス諸島に留まった。ファン・フェルナンデス諸島を離れたシュペー艦隊は11月21日にチリのペナス湾に着き、そこで5日間補給作業を行った。それからホーン岬を回って大西洋に入り、ピクトン島に数日留まった後フォークランド諸島攻撃へ向かった。 12月8日、シュペー艦隊はフォークランド諸島に接近し、グナイゼナウとニュルンベルクが攻撃に向かった。だが、グナイゼナウがイギリス戦艦カノーパスから砲撃を受けたためシュペーは攻撃を断念した。フォークランドからはイギリスの巡洋戦艦インヴィンシブル、インフレキシブルなどが出撃し南東へ逃げるドイツ艦隊を追撃した。イギリスの巡洋戦艦に追いつかれると、シュペーは3隻の軽巡洋艦に南へ逃げるよう命じた。それに対し、イギリス側は装甲巡洋艦ケント、コーンウォール、軽巡洋艦グラスゴーが3隻を追跡した。ニュルンベルクはケントに追跡された。ニュルンベルクはケントに追いつかれ、17時ごろには戦闘になった。18時30分頃にニュルンベルクのボイラーが爆発して速度が低下、逃走不可能となったニュルンベルクはケントからの攻撃で19時27分に沈没した(フォークランド沖海戦)。
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